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[578] 2006年10月 3日(火) 20:21
体験記 |
よかったですね。心からお喜び申し上げます。 政府が何と言っても、そんなこと関係ありませんけど、今後お子さんたちが傷つくことがないようにだけはしていただきたいと思いますね。 私は1月に子宮頸ガンで子宮を失いました。結婚して10年以上も経つのに、子供ができず、不妊治療の果ての発病でした。正直辛く、泣いてばかりの日々でした。 医者からは「ちょうど向井なんとかという人と一緒だよ」などと心ないことを言われましたが、ずっと気にしていました。何度もサイトをチェックしたのですが、明るいニュースがいっぱいで、うらやましかった。今も、うらやましい・・・。でも、やっと吐き出せる投稿ページができて、よかったです。 子供を持てなかった者としては、向井さんが目一杯幸せになるのを見届けることが、自分の幸せに通じます。ぜひ、この上もなくお幸せに。 |
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[576] 2006年10月 3日(火) 18:30
体験記 |
お帰りなさい。 お疲れさまでした。
この後、順調に行くことを心から願っています。
本当によかったですね。
望まれて産まれて来る子供はどんな形で産まれようと幸せになると信じてます。
子供さんと一緒に幸せになってください。 |
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[575] 2006年10月 3日(火) 17:34
体験記 |
お疲れさまでした。 賛否両論はあると思いますが、どんなことをしてでも子どもがほしいって気持ち、私も不妊経験者なのでわかります。 良い結果に結びつくことを、心からお祈りしています。 |
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[574] 2006年10月 3日(火) 15:54
体験記 |
高田さん、向井さんひとまず・・・ おめでとうございます!!!!! 高田・向井ファンの一員としては、本当に \(^o^)/&ヤッタネ(^。-)-☆ と言った 思いと共に、まだまだ負けられないよ!!と言う引き締めの気持ちもあります。 私自身、15年ほど前に子宮頸がんを告知されたものの、初期だった為に子宮を温存し 現在2児の母として頑張っています! ただ4年前に、再発し円錐切除の手術も 経験しました。 上の子を授かるまでに結婚から5年。 幾度かの人工授精も経験(実際には自然妊娠でしたが)、その間主人の家族からは 私が身体が小さいことで出来にくいとか、 子供も産めないなんて・・・と中傷もありました。 世論は色々あると思いますが、亜紀さん自分の意思を貫いてください。 そして、たくさんのあなた方ご夫妻を支援する人達もいてくれることを忘れず。 身体だけは、くれぐれも大切に無理しないで下さいね。 産んだからには、成長を見守る義務があるのですから (*^^)v |
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[573] 2006年10月 3日(火) 15:49
体験記 |
今日、今診断してもらっている先生に紹介状を書いてもらい、今週中に倉敷に行くことにしました。 前回の再細胞診の結果で(血液検査で線がんの可能性もあったので再診しました)、珍しい淡明細胞がんと診断されました。 進行が早いがんだそうです。念のためエコーで見てみると2週間前のMRI画像では3cmだったのが、4cmに見えるとのことでした。2週間で進行したのではなく、MRIでは見えなかった分があるのかもしれないとのこと。 多分、子宮温存は無理だと思うけど、悔いが残るといけないからきちんと倉敷で先生の話を聞いてきたほうがいいと、言われました。
明日はもうひとつかかっているガンで有名な病院の検診です。こちらの先生はあまり親身ではないので、ちょっと気が重いです。
今日の病院はがんで有名ではないけれど、先生はとても親身になってくれます。
どちらにしても来週の火曜日には病院を決め、手術に向けて自己血をはじめなければいけません。 がんばって今週中に自分で結果を出したいと思います。 |
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[572] 2006年10月 3日(火) 14:41
体験記 |
私には後20日で8歳になる娘がいます。私は重度の中毒症になってしまい血圧が160を超え子癇を起こし娘だけでなく自分の命の保障もない中で7ヶ月に入ったその日に全身麻酔の帝王切開で出産。娘は760グラムという大きさで産まれてきました。超未熟児でした。娘に初めて面会したのは、出産してから3日目。看護士と初めて搾乳したミルク瓶を握り、点滴台を杖かわりにして未熟児センターに入り娘を見ました。正直に愕然としました。全身の力が抜けて、倒れそうでした。茄子に4本の鉛筆が刺さったような体。想像を超えた皮膚の色。体に無数の管とシーツかわりのようなオムツ。私は自分を責めました。何てことをしたんだって。光線治療のせいで目は見えませんでした。部屋に戻りコントロールできない心と戦う私。ちょうど私の母が洗濯物を届けに来ました。私は子供のように甘えたかったのです。そんな私の思いとは全く違った母。何も言わずいきなり私の頬を叩いたのです。 「あんたの子よ!あんたが産んだ子よ。あんたがしっかりしないでどうするの?育てる自信がないなら帰りなさい!!」と。私は母に感謝してます。あの時に母に殴られたからこそ今の自分がいるんだと。翌日には娘の目を初めて見ました。 とっても綺麗な目で目力のある子に見えました。そしてこの目力なら、生きてくれると感じました。8年間は毎日戦争でした。どんな風に乗り越えてきたのか記憶にないのです。ただ、色んな人の支えがあり応援してくれたから前を向いてきたんだと思います。ある医師から言われました。 「お母さんは、何故自分ばかりこんな苦しい思いをするのかって思うでしょ?でもこれは、神様からの贈り物なんだよ。あなたは神様に選ばれたんだよ。あなたなら乗り越えられるって。苦しみに耐え、乗り越えた時、あなたにとっていい事がたくさんあるはず。だから負けたらだめだ。」と。 小さく産んで泣いてる人の励みになるかもしれない。私の体験してきた事に恥ずかしさなんてありません。病院で小さな子を抱き暗い顔をしてるママさんに声をかけ話をし、泣き顔が可愛い笑顔になったときが何よりも嬉しいです。この喜びこそが、神様の贈り物なのかもしれません。
人はそれぞれ違うし、耐えられない事にも個人差があります。けれど、笑っていて欲しいです。顔をあげて空を見て、綺麗な月を見て欲しい。 みんな、頑張って。・・・一緒に。 |
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[571] 2006年10月 3日(火) 12:28
体験記 |
いい結果が出てよかったですね〜 一日も早く、家庭に入って子育てに専念してください。お願いします。母親が居なくてもいい時期と居なければいけない時期があると思います。 |
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[570] 2006年10月 3日(火) 10:55
体験記 |
お帰りなさい。 ひそかに気になってました。どうなったかな〜って。良かったです!今のところ順調のようですね。 私も決意しました。 確かに賛否両論。沢山の方の意見がありますが、私にとってこれは、希望なので捨てるわけにはいきません。 とにかくとにかくお互いがんばりましょう! |
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[569] 2006年10月 3日(火) 8:40
体験記 |
成功することを祈ってます。 賛否両論あるけれど、「契約と共に生じた責任」と言う言葉に、のりぞうさんの真摯で強い決心を感じました。 私はやっぱり応援したい。 |
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[568] 2006年10月 3日(火) 1:36
体験記 |
34歳の夫婦です。4歳と1歳の子供がいますが、2人とも体外受精で授かりました。我々の場合はお互いに何かしら不妊の原因を持っていて、どちらか一方だけではなかったのでここまで頑張れたのだと思います。不妊治療って何となく影に隠れてこそこそとしたがる人が多いと思いますが、不妊治療をした人達でなければわからないことがものすごくたくさんあると思いますので、私も友人と話をするにも包み隠さずありのままを話するようにしています。向井さんも本当に悩んで苦しんでようやく2人の子供を授かって、本当におめでとうございます。これからも不妊治療とはどういうものかを世間に知らしめるべく活動していただけたら、と思っています。 |
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