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[1184-1] 2006年10月12日(木) 3:46
コメント:
先日の記者会見を拝見しました。 痩せて疲れきった様子が気がかりです。 私は、幸運にも努力の末、子供を授かり ました、短い間の命ではありましたが 命の尊さや別れの悲しさ、それを教えてくれました。奇跡は起こらず他界してしまいました。 今後、こどもが授かることがなくとも、 それを受け止めて、里子、養子を視野に 入れて人生を歩めるものなら歩みたいと 思います。 私は血のつながりは時としてあるからこそ 憎しみに発展する可能性もあると思っています。事実、多くの事件もあります。
子供は幼少期、とても親を愛してくれます。それは、とてもかけがえのないもの であると思います。今はその時期ですね。 今の時期、裁判、その他で大変な事も 多いでしょうが、家庭を第一に考えて お子様の幸福を一番に考えて自分を大切に 過ごされてください。 私は擁護派であるわけではありませんが 将来、お子さんが『生まれてきたくなかった』と言った場合、木の栄養など考えないで下さいね。子は親の所有物ではないからです。お体を大切に、お子さんの幸せを 心から願っています。
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[1184-2] 名前:まどか 2006年10月12日(木) 6:12
本当に。 子供を宿して…胎内で育て…出産し…日々の成長に涙し… それらは小さな奇跡の積み重ねなんですよね。 決して女だから当たり前に与えられるものじゃない。 不妊で悩む人達はどうして自分だけって思っているかもしれないけれど、そこからしてきっと違ってる。
末娘を9ヶ月で亡くしました。 出産時に卵管を縛ったのでもう子供はできません。 3回帝王切開しているし最後の出産は高血圧症で生死も危ういくらいでしたから母体のリスクの方が高いです。 でも縛っていなかったとしても、もし妊娠できたとしても、きっと怖くてたまらないと思う。 いつ消えてしまうかわからない命のもろさに先に自分の心が砕けてしまいそうな気がするから。 残った子供達は2人とも障碍児。 でも生きていてさえくれればいい、心底そう思うようになりました。 |
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[1184-3] 名前:奇跡というもの 2006年10月12日(木) 11:32
無事、母体が助かったんですね。良かったです。 今の時代は、妊娠、出産は病気では ないと言われるけれど リスクの 高い事には変わりはないと私は思っています。
お子さんが天国に召されたという事は 自分が体験していても何も言う言葉が みつかりません。 天国のお子さんと二人の傍に居るお子さん との毎日、大切にしてくださいね。
不妊については、追い詰められる気持ちが 理解できるので これはなんとも私には 言えません。 |
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