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「8歳になりました☆☆」
2011年11月29日
万里結太が8歳になりました。 ・・・早いものです。 私が47歳になるわけです。 喪中なので、年賀状はお出ししないことにするのですが、いくら忘れた振りをしてみても、ワタクシ、来年は「年女」なんですよね〜。嗚呼。
27日の日曜日、クラスのお友達を全員呼んで、お誕生会をしました。 ・・・というか、『2年2組・日曜お楽しみ会』と言うほうが正しい感じです(笑)。 みんなで集まって、ランチして、歌を歌って、面白いものを見て、芝生で遊んで、ケーキを食べて、針金アートに挑戦して、高田家マジックショーのネタを見破って、プレゼント交換をして。
高田も私も、途中、何回も「先生!」と間違えて呼ばれたくらいですから(笑)、校外授業のような、ずっと終わってほしくないような、トイレに行くのも我慢したいような、婚約発表(?)も飛び出すような、・・・とにもかくにも、素晴らしい時間になったと思います。 みんなが、大きくなっていくの、本当に本っ当に楽しみなりよん。
しかし。 クラスのみんなが一斉に、「キャーーッ」と、大興奮状態になったら、もう私なんぞの声は通りませんね(汗)。 高田の腹式呼吸バリバリの野太い声で、「全員、注目ぅ!!!」と、叫ばない限り、会を進行させていくことはできまへん。 学校の先生の頑張りを、心から応援したくなりました。
蛇足ですが。 万里と結太は、まだお誕生日プレゼントともらっていません。 ここのところ、ちょっと九九やら漢字やら連絡帳やら大切な約束やらを忘れてばかりなので、今度の日曜日まで、「がんばる万里」、「がんばる結太」を見せてくれるかどうか、しばらく延期になっているのであります。おほほ。
ところが。 万里結太に、強力な味方が現れたのでございます。 新しいおじいちゃんとおばあちゃん!
少しだけ説明しますと、高田の父親は早くに亡くなり、母親とは遠い昔に別れ、今年、私の両親も相次いで逝ってしまったので、・・・彼らには、おじいちゃんおばあちゃんがいなくなっていたのです。 そもそも、うちの両親は、父は照れ隠しなのか厳しすぎなのか、孫に甘い顔を一切したことがなく、母親はずっと体調が安定していなかったので、彼らは、「おじいちゃ〜ん、おばあちゃ〜ん」と、“おねだり”できたことは一回もなかったのです。
が、ここにきて。 大牟田に住む、叔母(母の妹)夫婦が、おじいちゃんおばあちゃんになってくれることになったのであります。ありがたいです・・・。 実は、叔父叔母夫婦も、あまりにも早く長男を亡くし(まだ16歳でした)、そして、この夏、その妹までも病気で失ってしまったのです(あと一週間で42歳でした)。
うちの母や父の葬儀に、しっかり背筋を伸ばして参列してくれていましたが、叔父叔母のそんな姿を見るのが、私には何よりつらいことでした。 かける言葉が、まるで、ありませんでした。
が、そこへ万里結太が、何故か、「ぽわん」と近づいてきてくれて。 「おばちゃん、どうして、眼鏡かけてるの? はずして。ね、はずしたほうが、かわいいよ」と、斎場へ向かうマイクロバスの中で、万里が叔母に、急に話しかけて。 結太が横で、「うんうん」と、にっこにこ笑っていて。 70歳代のおばちゃんを、思いっきりナンパしてるんですから、いやはや面白いですよね〜(笑)。
あれから。 叔父叔母が、万里結太のおじいちゃんおばあちゃんになってくれています。 きっと、うちの両親も喜んでくれていると思います。 叔母が、「こうして、家の中を、この年代の子どもたちが走り回ることって、一体どれくらい振りかしら。私たちには子も孫もいないけれど、だから、より大切なの。もっと子ども達との時間を味わっておきたかったって、二人で後悔ばかりしていたところだったから、本当に嬉しいのよ」と、笑ってくれて。 ・・・嗚呼、もっともっと、叔父叔母には笑っていてほしいと思います。
さて。 そんな事情があることなどツユ知らず、万里結太は、只今、“おねだり”できることが嬉しくて嬉しくてたまりません(笑)。 先程も、私に聞こえないようにしつつ、大牟田に電話していましたので、んまあ、仕方ありません、「よりがんばる万里」、「よりがんばる結太」を見せてもらうことにいたしましょうか。 |
「少しだけ遅れますが」
2011年11月19日
鹿児島便、飛びました。 ・・・よかったです。ほっとしました。 『旅サラダ』の生放送が終わり、今、伊丹空港から鹿児島へ向かう空の上で、このブログを打っている向井であります。
明日の『ダイヤモンド・キッズ・カレッジ』を前に、今日は少し早めに鹿児島入りし、中央駅前で募金活動をすることにしていたので、・・・今日のこの雨、ちょっとドキドキでした。 鹿児島の子ども達と一緒に、街ゆく皆さんへお呼びかけすることにしているので、おチビちゃんたちが風邪をひいたら大変だなぁと、心配で。
しかし。 鹿児島では、雨はピークを過ぎたようで、最高気温予想も24度とのこと。←伊佐に住む親戚からの電話情報です、良子さん、ありがとうございましたん。
私の(『旅サラダ』用のメイクを放置したままの)化粧崩れ的には“ヨレヨレ注意報”でしょうが(笑)、子ども達は元気モリモリ、チェスト頑張ってくれることでしょう。 お近くにお住まいの皆さん、是非、中央駅にお出かけくださいね。 募金の開始予定時刻は、14時30分です。←他のスタッフたちも、移動に雨の影響がでているようで、若干、開始が遅くなるかもしれません。スミマセン。
実は、この鹿児島DKC、本来ならば、5月末に開催する予定だったのですが、季節はずれの台風のせいで延期になってしまい、今回の開催は、そのリベンジなのです。
・・・あ。 5月末、台風の中、両親と一緒に夜の街へ繰り出して、カラオケを歌ったこと、思い出しちゃいました。 昭和一桁生まれの鹿児島男にとっては、「このくらいの雨がなんだ。2軒目へ行くぞ!」ってなもんだったんですね。 母にも少し無理をしてもらって、カラオケ屋さんへ行き・・・。 父はいつも通り、にっこにこで歌いまくり、母も珍しく何曲も歌ってくれ、嬉しくなった私は、片っ端から歌を入れまくり、デュエットし、踊り、写真を撮りまくり、芋焼酎をガンガンおかわりしたものであります。 あの頃は、またいつでも、両親と一緒にカラオケができると、本当に思っていたのですが・・・。 千日町、スペース『こんな店』の吉田さん、ありがとうございました。 また大島の話をしましょう。・・・踊りながら♪
さて。 大島の話を、このブログでもさせてください。 今日、中央駅前で集めさせていただくお金は、 @東北地方で行う『復興支援DKC』にて、現地の子ども達へ直接お渡しするもの、 A去年・今年と、豪雨によって大変な被害を受けた奄美大島龍郷町の復旧のために使っていただくもの、 この2つに等分して、寄付することにしております。
詳しくは、今日、ご協力してくださった方へお配りするために作成した「募金用チラシ」に書いておきました。 向井の作文ゆえ、言葉足らずの箇所もあるかと存じますが、ここに貼り付けておきますので、どうぞ参考になさってくださいませ。
@について
東日本大震災により被災された皆様を応援するため、私たち高田道場 スタッフ一同は、これからも汗を流し続けてまいります。 高田式体育教室『ダイヤモンド・キッズ・カレッジ』に参加した全国各地の 子ども達、また高田道場に通う子ども達と一緒に大勢の皆様へ呼びかけ、 温かいお気持ちを集めていきます。子ども達のかわいい手作り募金箱に 入れていただいたお金は、被災地で行う『復興支援ダイヤモンド・キッズ・ カレッジ』開催会場にて、現地の子ども達へ直接お届けいたします。 先日は、福島県相馬市立中村第二小学校6年生の子ども達に、「相馬市 震災孤児等支援金」としてお渡ししてきました。 子ども達の手から手へ・・・。 ダイヤモンドのように輝く元気が繋がって、 未来を明るく照らしてくれるよう、高田道場が責任を持ってフォローアップ いたします(募金に関する情報は、高田道場HPにて公開しております)。
Aについて
昨年10月20日の奄美豪雨災害による大きな爪痕に、今年9月25日の 激しい雨が追い討ちをかける形となってしまい、奄美大島・龍郷町では、 多くの家屋が床上浸水、床下浸水の被害に遭いました。 被災された皆さまの心と身体の救援、龍郷町の一日も早い復旧を願い、 少しでもお役に立ちたい一心で募金活動をしております。 子ども達の手作り募金箱に集まった、お気持ちのこもったお金は、 「是非、つらい思いをしている子ども達のために使ってください」という メッセージと共に、川畑宏友・龍郷町長へ手渡しすることにしています。 (その模様等は、高田道場HPにて、随時お知らせしてまいります。) 子ども達の心の繋がりが、元気な未来を創り出す原動力となりますよう、 高田道場スタッフ・関係者一同、汗を流して応援させていただきます。
ちなみに。 龍郷町の町長さんへは、奄美大島酒造の工場長さんが、高田道場の代理として、お金を届けに行って下さることになっています。 父が大島出身なもので、伯父伯母もいるし、あちこちに知人がいるのですが、 「お金が届いた、その日に動きますよ。“龍郷の子ども達のために使ってください”と、我が工場長が町長さんへお話しながら、直接、手渡しするシーンを激写してメールします。募金をしてくれた子ども達にも見せてあげてください。もちろん、領収書ももらってきます」 と、奄美大島酒造さんが約束してくださり、思いっきり甘えさせていただくことにした次第でございます(山口さん、ありがとうございます、また高倉を買いに行きます!)。
ではでは、↑このチラシを、直接、手にとってお読みになりたい方は、中央駅前に集合してくださいね。 龍郷の義援金については、町役場のサイトにも詳しく載っていますので、鹿児島以外にお住まいになりつつ、ご興味のある方は、是非、サイトからお調べになってみてくださいね。 龍郷は、お水がとても美味しい集落です。 黒糖焼酎のお好きな方は、きっと繋がりを持ってらっしゃいますよ。
ではでは、鹿児島の子ども達と一緒に、向井&スタッフ一同、声を嗄らして頑張ってきますね!!! もちろん、明日も見学OKです。 樟南高校体育館でお会いしましょう!
本日貼り付けた写真は、今日の鹿児島上空です。 いい青。本当に、ほっとしちゃいます。・・・感謝。 |
「行きたいです…」
2011年11月11日
ホームから見えたポスターに、こんなに心引かれたのは、一体どのくらい振りでしょう。
法然の発想力、親鸞の実行力のスケールの大きさと一途さに、心ぶるぶる揺さぶられたいですっ! |
「神戸のモモちゃん」
2011年11月4日
昨日の『第35回 ダイヤモンド・キッズ・カレッジ in神戸』、大成功でした!!!
実は。 ちょうど一年前の同じ日・同じ場所から、このDKCはスタートしていたんですよ。 JR神戸駅に隣接する「DUOこうべ」コンコース内で、2010年11月3日に開催したDKCが素晴らしく盛り上がったので、その打ち上げの席で、「来年も、同じ日に同じ場所でやりましょう!」と、皆で乾杯した、あの約束がピカピカに実現したのであります。
忘れもしません。 去年の神戸は、季節はずれに冷え込んで、マット上担当以外のスタッフはぶるぶる震え、貼るカイロを買いに走ったものですが、そんな中、モザイク内『ミュンヘン』で飲んだドイツビールの、それはそれは美味しかったこと。
・・・じゃなくて、ビールの美味しさより、「皆で来年も!」と約束し、それまでバラバラの場所で別々の仕事をしていた全員が同じ気持ちで熱く走り始めた、その集団武者震い感こそが、忘れられないのでございます。
今年は、去年に引き続き、六甲アイランド高校、猪名川高校のレスリング部の皆さん、そして新しく、育英高校、須磨翔風高校のレスリング部の皆さんも加わって、指導陣が大充実。
もちろん、シドニー五輪銀メダリストの永田克彦選手を始め、日本体育大学レスリング部OB、中京女子大学(現・至学館大学)OG、その他にも、子ども達のために一肌脱ごうというパワフル選手たち&高田道場スタッフが大集合したのですから、本っ当に内容の濃い、あっという間の2時間だったのでした。←午前の部、午後の部、それぞれが2時間ずつのプログラムだったのですが、「短く感じた!」という子がメッチャ多かったんですよ♪
最近は、クラスに参加してくれる子ども達、それから、指導者として協力してくれる高校生の笑顔に、ものすごーーーく癒されている高田家であります。 イベント終了後、参加したスタッフ全員で丸くなってミーティングをするのですが、その際、高田も私も、真っ剣に高校生を褒めちゃうわけです(高校生たちのひたむきな目がかわいくて、心の中はメロメロなんですけど、ね)。
もちろん、高校生が「もう少し頑張りましょう」という回も、過去、ちょっこっとありました。 そんなときは、私たち大人スタッフが「グワーッ」と、思いっきり空気を引っ張り上げていくわけですが、昨日はそんな必要がまったくなかったんです。←そう、まさしく「大変よくできました」状態!
今時の高校生。 本当にいい子がいーっぱいいますよ。 自分が高校生だった頃、・・・今、30年前のことを懸命に思い出してみたのですが(笑)、大人に真顔で褒められたことなんてなかったですもん。
もっともっと自分に自信を持ってほしいなぁ。 レスリングを選んだことにも、より意義を感じて欲しいなぁ。
などと書いているうちに、夜も更けてまいりました。 DKCの翌々日に、一番ヨレヨレしてしまうワタクシとしましては、明日の『旅サラダ』へ向け、しっかり眠っておきたいと思いますデス。
本日貼り付けた写真は、昨日、子ども達にもらった誕生日プレゼントです。 この、「カクレモモジリ」ポーチに大事なものや好きなものを入れて、お仕事に行ってね!とのこと。 今日は、リップクリーム・目薬・のど飴・レモンフリスクが入れてきましたん。
あ、ちなみに。 今、私の携帯の待ちキャラは、「ホトケアカバネ」です。 ホトケアカバネちゃんにも、かなり癒していただいている47歳主婦でございました。 |
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