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「鹿児島→大阪→北海道→東京→福島!」
2011年8月17日
たくさんの皆さんから温かいお言葉をいただき、じわじわ元気を回復しているワタクシであります。
本っ当にありがたいです。
母から最後に受け取った言葉も「ありがと、ね」でした。 「ほいよ」と、あまりにマヌケに返しただけの46歳、まだまだ修行の旅は続くのでした。
夏休み初日からラジオ体操班長として、オタオタ頑張り。 大阪から新潟へ飛び、レスリング全国大会で声を枯らし。 鹿児島は伊佐で母を見送り。 大阪で神田さんにハグハグしてもらい。 京都わらじ亭で、久々に記憶をなくし。 北海道は十勝で思いっきり深呼吸…。
まだ夏休みが半分残っているなんて、少しお得かもしれません。 はい、以前にも増して、ポジティブ向井になっておりますっ。母ちゃん、見てて!
明日は福島へ、それも念願の相馬へ行ってきます。 10月の『ダイヤモンド・キッズ・ガレッジin相馬』の打合せ&会場下見に伺うのですが、…実は、DKC当日、参加する子ども達の前で感極まって泣かないよう、自分の気持ちの土台強化を狙ってのロングドライブだったりするのでした。
北海道で巡りあった相馬の若様とも、「子ども達の前では泣かない」と誓った高田家、長く続く会になるよう子ども達の親戚パッションで頑張りたいと思います。 |
「あの雲に乗って」
2011年8月5日
八月二日午後、母が他界しました。
故郷伊佐の大好きな風を窓一杯に入れながら、よく笑いよく歌った最期のひとときを楽しんでくれたのでしょう。 全身にがんが拡がっていたにもかかわらず、村田先生も驚かれるほど痛みのない、まさしく眠るような旅立ちでした。
お世辞の言えない万里結太が母のおでこに手を当てながら、「おばあちゃん、笑ってるみたい。かわいいね」と言ったのですから間違いありません。
「おばあちゃんを燃やすのは、そのほうが天国に行きやすくなるからなの」と説明したところ、「おばあちゃんが乗る雲はどれかな。あれかな」などと、小学二年生二人は暫し夏空を眺めておりました。 伊佐の空が青くて広くて助かりました…。
七十九年間、和の人生に優しく心寄せてくださった皆さま、本当に本当にありがとうございました。 心から感謝しております。
今頃、女学生時代に戻り、山野の畦道を下駄で走り回っていることでしょう。←高田&万里結太に手伝ってもらい、和のお気に入りスポットに少しずつ灰を置いてきましたので、んまあ、おてんば炸裂のはず。
ここ数日を思い返してみても、まっこと、ありがたかことでした。 お世話になった皆さまへ、ゆっくりじっくりご恩返しをしていきたいワタクシであります。 |
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