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「ただいまー!」
2021年6月29日
29年分の思い出が詰まった、ABCのスタジオに帰ってきました😆
まだまだ不安定なコロナ禍、ずっとこのスタジオから生放送をお届けできるかどうかはわからないのですが。
素直に「ただいま!」という気持ちになれる場所がある、ということは。 ‥幸せです。 実感じわじわ、半端ないです。
私は旅サラダが始まる前の番組にも少し出演させていただいていたので、もう30年、この場所に「ただいま」のありがたさを教えてもらっていることになります。
見上げると。 ライトがいっぱい、星のように並んでいて。 本当の天井はどこにあるのか、ちょっと謎だったりして。 意外と宇宙っぽいんですよ。
勝手にロマンに浸っている、ワタクシ56歳。 またここから「おはようございます」のご挨拶ができることをしっかり大切にしてまいります。
実はワタクシ。 いつの頃からか、朝のご挨拶を必ず2回、することにしているんです。 もう10年以上になりますか‥。
まだ母が生きていた頃。 闘病が長くなるにつれ、記憶の引き出しが整理できづらくなってきた母(享年79歳)に。 テレパシーで画面越しに「おはよう」を言うようにしていたんです。
一度、番組内の旅場面で、鹿児島の桜島が映ったのですが。 そのオンエアを観た母が、いきなり入院中の病室から抜け出してしまったことがあったんです。
生放送が終わり、母からの留守電を聞いた私は震えました。 「亜紀? 私よ。今どこにいると思う? 鹿児島なの(笑)。ひとっ飛びで来ちゃったわ。だから、病院の先生達には、あなたからうまく話しておいてちょうだいね。うふふ、近かったわぁ」 声が弾んで、いたずらっ子のように笑って。
「‥どうしよう。外に出たら死んでしまう」
とにかく急いで病院に連絡を入れ。 週末シフトで主治医チームの先生方がいらっしゃらない中。 病棟のナースさんに「個人情報ですので、そのような方が入院しているかどうかは、本当に娘さんであったとしても電話口でお教えすることはできません」と(正しく)ガードされてしまいながら。 帰京して、病院に向かって。
で、結局は。 母の「身体」は病室の中でほっこり丸くなっておりまして。 つまり、鹿児島に行ったのは母の「心」だけだったようなんです。 鹿児島出身で、いつも桜島を眺めながら鹿児島大学に通っていた母の心は、時間と空間を軽々とひとっ飛び、‥できちゃったんですね。
私が何度聞いても、留守番電話に入れたメッセージのことは覚えておらず、しかし、桜島には確かに行ったと言い張ったのでありました。
なので。 あの「ひとっ飛び事件」以降。
私は毎週、旅サラダをご覧になってくださっている皆さんに「おはようございます」を申し上げてから。 テレパシーでもう一度、確認の「おはようございます」をお伝えすることにしているんです。
これは生ですよ、私はここにいますよ、あなたはそこにいますよね、同じ時間を過ごしてますよね🤗
2011年8月に母が逝き、その翌月9月に父が逝きましたので。 ‥今や「験かつぎ」になっておりますが。 このスタジオの見えない天井は、きっとどこまでも繋がってくれているはず、なんて思ってもよかでしょうか。
ちなみに。 父が急死したのは、土曜日の明け方でしたので。 一睡もせずに臨終の知らせを受け、そのまま(誰にも言えずに)『旅サラダ』に生出演した際も。 ワタクシ、天井の星々に向けてテレパシーを飛ばした覚えがあります。
さてさて。 これからもできる限り、土曜日は「おはようございます」の挨拶を2回、皆さんにお届けしていきますね! 2021年後半が、どうかどうか良き半年になりますように。 |
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