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「昨夜、ほぼ徹で書いたこと」
2008年3月14日
学術会議の出した結論について、私の個人的な意見を書いておこうと思います。 「会議に参加した先生のうち何人かは、本気で、この問題を一刻も早くご自分の前から放り出したいと考えていたのではないだろうか」というのが、残念ながら今の私の偽らざる印象です。日本の頭脳のトップが各分野から集まり、生殖補助医療の中の、特に「代理出産」について焦点を絞りつつ、一年以上の時間をかけて練りだした結論に、大学中退の私がこんなにも疑問を感じまくる状況は、・・・やはり、どう考えても不自然な気がします。
学術会議をずっと取材し続けていた記者の中にも、「議論になどなっていなかった。関係者から時間を区切って参考意見を聞くことと、先生方がそれぞれの主張を順番に発表することのみで終了する会議が続き、やっとディスカッションの形が見られ始めたのは、なんと今年に入ってから。これで結論を出すつもりだなんて・・・」と、首を傾げる人が少なくなかったので、私の印象はあながち突拍子もないものではないはずです。
子宮の働きを持たない女性が、この方法にかける希望を心の支えに涙を流しながら生きている現状を、ほんの少しでも胸に思い描いていただけたなら、このような結論を導くにあたって、当然解説されなければならなかった点が多々抜け落ちている有り様に、先生方の頭脳をして気づかないわけがありません。少なくとも、「禁止しながら試行する」ことの矛盾について充分な説明がなされない限り、罰則など定まるわけがないと思うのですが、・・・何だか、バラバラの意見をバラバラのまま、万人受けしそうな包装紙にくるんで、次の人へパスしたような感じ、とでもいいましょうか。
ふぅぅ、こんなことでがっかりしていても仕方ありませんね。 では、早速、代理出産経験者である私から見て、「おかしい」と思う点を挙げてみます。勉強不足ではありますが、そもそもこの法律は、代理出産によってしか自分と遺伝的つながりのある子供を持てない夫婦(もしくは女性)に対しての「お達し」であるわけですから、それを通すためには、その者たちを説得できなければ始まらないはず。よって、ここはしっかり、3月末に仕上がる結論文に答えを盛り込んでいただきたいところです。
*まず、その代理出産が営利目的で行われたものであったか否かの判断は、どうやってなされるのでしょうか。私の場合、代理母に支払った費用は、ネバダ州裁判所により“必要経費”として認められた金額のみです。“謝礼”でなければ、営利目的にはならない可能性もあるように思いますが、どうなりますか。日本国内で代理出産が行われる場合は、営利目的だったか、そうでなかったかの判断を一つの裁判所で下すのかもしれませんが、私のような形で子供が生まれた場合、代理出産が許されている地域で行われる裁判結果と、そうでない日本で行われる裁判結果の、どちらの結果を採用して有罪無罪を決めることになるのでしょうか。また、もし営利目的だったという判断が下された場合、金品等の受け渡しについて、それを返却したらどうなるのでしょうか。「見解の相違があった」ということで、・・・やや税金の申告に似ていますが、受け渡しの修正を行えば、罪は軽くなる、あるいは消えたりもするのでしょうか。
*営利目的だった場合は、代理出産に携わった医師、斡旋業者、依頼夫婦を処罰の対象にするということですが、私のように、代理出産を法的に認めている地域で子を得た場合、体外受精を行った医師、代理母の子宮に胚移植をした医師、代理母の出産までをフォローした医師、妊娠中の代理母を励ました多胎専門医、看護師、カウンセラー、顕微授精を担当した技師、医療コーディネイター、通訳などのうち、どなたが処罰の対象となるのでしょうか。また、その方々が現地では合法とされている仕事を全うしているだけの場合、処罰されることに納得できないとして、裁判となる可能性も大いにありますが、そういった場合、どう収めるのが妥当だと思われていますか。
*代理母にかかる身体的精神的負担の大きさや、出生児が心に受けるダメージを懸念し、代理出産を原則禁止するということですが、それを科学的に証明するデータは集まっていないのが日本の現状だと伺いました。では、そういったデータの収集分析が行われ、代理母や出生児をフォローする体制作りが進んだ結果、この方法がすでに正式に許可されている地域で、実績を持つ医師の下、代理出産に挑戦することを「犯罪である」とする根拠はどこにあるのでしょうか。
*代理母は「被害者」だということですが、そのような表現を使いながら、臨床研究の道を残すというのなら、代理母に立候補なさろうとしている日本女性の実の子供さんには、困っている人たちのためにママの起こす行動について、どのように説明するおつもりですか。臨床研究という環境下で代理出産に挑戦できるご夫婦は、希望者のごく一部だろうという声が聞こえてきます(それどころか、実際には行われないのではないかと話す婦人科医の多いこと!)。選にもれたご夫婦が、あえて代理出産に挑戦しようものなら犯罪者になりかねないわけですから、依頼夫婦も代理母も、ご自分の挑戦について、口が裂けても話せなくなるのではないかと想像します。代理母の子供がママの行動を誇りに思いながらまっすぐに育つ環境を整えるために、どのような対策をお持ちですか。
*混乱を避けるため、臨床研究に参加できる夫婦(または女性)の条件および選出方法、また研究内容についても、詳しく示していただきたいと強く希望します。つい先日の学術会議でも、「普通養子縁組するものと、特別養子縁組するものを分け、それぞれのケースにおいて出生児の受ける社会的・精神的影響を比較したい」というような、人を人と思わぬ恐ろしい提案が出ていたと聞くにつけ、先生方が頭の中に持ってらっしゃるイメージをなかなか理解することができずにおります。研究対象に選ばれたとしても、その先の筋書きが明らかにされていないのでは人権侵害となりますので、是非開示してください。
*「試行で問題が出た場合には、その時点で(代理出産を法律で)全面禁止にする」と書かれた新聞記事を読んで、不安になりました。言うまでもなく、代理母や出生児の健康や幸福感が崩れてしまったら、それは大変なことです。だからこそ、ダメージを与えないよう残さないよう、事前に様々な事態を想定し、考え得る限りのセーフティネットを何重にも用意しておかなければならないと思います。が、そういった問題が認められた場合、日本の代理出産研究チームは、法律を「全面禁止」と変更する前に、目の前の代理母や出生児に対して、まず何ができるのでしょうか。失礼な言い方になってしまうかもしれませんが、代理出産を行ったことのない医師、扱ったことのないカウンセラーや法律家に、代理母は一体どうやって心開いたらいいのでしょう。倫理的・法的・社会的弊害の可能性に配慮するとしながらも、出生児の精神的発達を調査するということは、イコール出自を知らせ、その反応を長期に渡って研究するということだと思います。法律で禁止された方法で自分が生を受けたという、誰にも打ち明けられない事実を背負わせながら、その重さを軽減させるための努力を少しでも怠ったとき、それは人体実験と呼ばれるものになります。喜びや悲しみを分かち合える横のつながりを始め、前向きに生きるための空間・時間、その術について、塾考してからの出発にしていただきたいと切に願います。
*人体実験が行われないよう、当事者全員ができる限り幸せになるための正常な臨床研究がなされていけば、それが国の示す代理出産のガイドラインとなって、「代理出産が公的運営機関の管理下において容認される」日が来るのかもしれません。要は、本当にその日を目標に脳漿を搾り、心を砕いてくださる方が公的機関入りしてくださるかどうかにかかっているわけですが、法律で禁止されようという中、一体、誰の呼びかけで、どのようなチームが組まれるのでしょうか。たとえば、厚労省の開く生殖補助医療審議会の委員に関しても、今回の学術会議のメンバーに関しても、医師や法律関係者など(選ばれた先生方と同じ職種で活躍する皆さん)に伺うと、「委員の選考に恣意的なものを感じる」というお答えばかりが返ってくるのには驚きます。近い将来、このチームから高田家へ呼び出しがかかり、代理出産で生まれた赤ちゃんを万里・結太があやす姿を、依頼夫婦と私たち夫婦、そしてできることなら代理母家族も一緒に、皆で目を細めながら見守る機会を作ってもらえるようなら、その機関は良心的にベストを尽くしていることになるかと思われますが・・・。尚、調査結果について、どのように発表がなされるのかも教えてください。とにかく、その臨床研究方法が公明正大でなければ、データ不足を認めておきながら禁止とする理由がまったく揃っていないことになります。
*「代理母と胎児との間では、免疫機関の破綻が起こりやすくなる懸念が示されている」という生物学的視点からの危惧があったそうですが、この根拠について、詳しく示していただきたいと思います。もし本当なら、これから開かれるであろう卵子提供の道へも同じ懸念がかけられることになり、非常に大切なポイントになります。私の超貧相な生物学的想像では、精子と卵子が組み合わさり、母体と胎児の遺伝子が50%違ったものになれば、そこに生じる相違は非常にダイナミックなものであるはずだと思うのですが、免疫機関の破綻が現れる確率は少ない。よって、胎児を発育させるときの子宮のバイタリティは桁外れのものであるだろうと考えたくなりますが、そのあたりについては、日本にも膨大な動物実験のデータがあるはずですので、そこから参考数値を出していただく等しながら、是非、私のようなものにもわかる根拠説明をお願いしたいと思います。我が家で暮らす双子の子供たちが、将来、生活習慣病やがんの高いリスクを負う可能性があると言われているわけですので、他の卵子提供経験者・代理出産経験者のためにも、よろしくお願いします。
*「卵子の取り違えや、子の誕生時に依頼者が行方不明になるリスクを回避するため」、「誕生と同時に子の一義的な保護者を確定できるから」、「生物学的な母性は、懐胎中に育まれるから」という理由などから、分娩者を母とする現行法に従うとのことですが、その理由をより積極的かつ学術的に書き添えていただけたらと思います。つまり、卵子の取り違えが起こる確率は、現在の医療体制では非常に少ないと思われ、せめて日本の体外受精の現場において、実際にどのくらい取り違えが起こったかの引用は必要なこと。子の誕生時に依頼者が行方不明になるリスクは、関係者間の意志の疎通を図るカウンセラー等が不作為でなければ常識的に回避可能なこと。誕生と同時に子の一義的な保護者を確定するために、たとえば、ネバダ州等では、代理母が妊娠安定期に入る頃に親子関係確定裁判が開始され、子が誕生した瞬間から依頼夫婦を正式な親とする旨の裁判所命令が、事前に病院や役所へ向けて下されているのが常識となっており、保護者の確定に問題はないこと。生物学的な母性は懐胎中に育まれるとの科学的データが示されておらず、実親が起こしている虐待問題との対比を加えた根拠説明が必要なこと。子宮を持たない女性は母性を持てないとする学術的解説を聞かせてもらわなければ、私のような身体の人間は納得できませんので、是非、これらの点を解説していただきたいと思います。
*依頼夫婦と出生児間に特別養子縁組が認められるとするなら、それは、実の親子として日本に暮らすことに何ら問題はないと裁判所が判断したことになると法律家の先生は言います。手続きを行えば実の親子として認められるなら、何故、代理出産が社会的・倫理的に受け入れられないものとされるのでしょうか。複数の新聞社が行った世論調査では、国民の半数以上が代理出産に理解を示したという結果が出ていましたが、学術会議に参加していた先生のうち数人は、「これらの調査の設問には問題がある。代理出産に理解を示した数を大きくしようという意思があれば、質問の方法によって恣意的に結果を導くことは可能であり、正しい数字とは思えない」とおっしゃっていました。が、新聞社の方々が行った調査のどこに恣意的なトリックが含まれているのか、または、そこまで結果を否定するのなら、ご自分たちの考えた正しい設問はどのようなものになるのかも示していただくべきでした。そのうえで、先の質問にお答えいただきたいと思います。
・・・と、長くなりましたね〜。 実は、まだまだありそうなんですが、今日は、体力的にちょっと限界です。 またいろいろ考えて、質問をぶつけていきますね。 「トラブルを起こさないために、急いで根もとを切り倒す」という発想が多く、「トラブルを回避するために、どのような方法があり得るか」という議論にまったく達していないこの状況下、私にできることは、具体的なシロウト質問を粘り強く投げかけていくことっス!
私の目標は、代理出産の一部容認。
国が公的運営機関を作って代理出産におけるガイドラインを示せば、それが理想のケースとなって、これまで水面下で行われてきたトラブルの多い挑戦について、「この話は、ガイドラインからかけ離れすぎている。危険だ。やめよう」と、決心をつけられるご夫婦が激増すると思うんです。 公的機関の頭脳的バックアップがあれば、このトライを隠れてしなくてもすむようになる日がきっと来るはずです。隠れてしようとするところから、多くの悲劇が始まっているのではないかと考えるのは、・・・私だけでしょうか。
さて、今日はこのへんで失礼することにしましょう。 ではでは、よい夢を・・・。
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「春の精♡」
2008年3月14日
先日行われた、お別れ父母会でのナイスショットです。 卒園する年長さんのママたちへ、「おめでとう」と「ありがとう」の気持ちを込めて、かくし芸(?)をプレゼントする会なのですが、私たち年少ママ連は、合唱とバレエを送らせてもらったのでありました。
全員による『世界にひとつだけの花』の合唱(ピアノ・フルート・バイオリンの演奏つき!)が終わり、春らしい衣装に身を包んだ3人のバレエ経験者ママが舞台に登場した途端、会場は、「ほぉぉ〜♡」という甘い溜息に包まれ、それはそれはステキな時間が流れたのでございます。
バレエって、本当にいいですね。 私も、バレエが習いたかったなぁ。 ちなみに、春の精に囲まれて鼻の下を伸ばしているオヤジなワタクシに向かって、左側に写っているのが“まいみちゃんのママ”、手前が“じゅんちゃんのママ”、右側が“こうすけくんのママ”です。 嗚呼、このデコルテラインの美しさだけでも、・・・どうにか、あやかりたいものです。
昔々、高校で新体操部に在籍していた頃、幼少時代からずっとバレエを習っていた友達の身のこなし、姿勢、指先、膝から下のしなり等を少しでも真似したいとトライした向井でしたが、いやはや、付け焼刃にはいかないものですね。 もちろん、今は付け焼刃どころか、身体全体が鋼鉄の硬さですから(笑)、もうどうしようもないんですけど。
ただ、子供にバレエを習わせていたら、どうしても自分もやってみたくなって習い始めるママさんも、意外に少なくないと聞いたりするもするわけで、・・・うずうず。 春は何かを始めたくなる季節ですね〜。
来年のお別れ会までに、何か習ってみましょうか(爆)。 実は、年中さんのママたちが、非常にハジけたかくし芸を披露するのを見て、「・・・どうしよう。来年は、かなり時間をかけて練習しないといけないんじゃない?」と、肘でお互いをつつきあった年少ママ連だったのでした(汗)。
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