「あの雲に乗って」
2011年8月5日
八月二日午後、母が他界しました。
故郷伊佐の大好きな風を窓一杯に入れながら、よく笑いよく歌った最期のひとときを楽しんでくれたのでしょう。 全身にがんが拡がっていたにもかかわらず、村田先生も驚かれるほど痛みのない、まさしく眠るような旅立ちでした。
お世辞の言えない万里結太が母のおでこに手を当てながら、「おばあちゃん、笑ってるみたい。かわいいね」と言ったのですから間違いありません。
「おばあちゃんを燃やすのは、そのほうが天国に行きやすくなるからなの」と説明したところ、「おばあちゃんが乗る雲はどれかな。あれかな」などと、小学二年生二人は暫し夏空を眺めておりました。 伊佐の空が青くて広くて助かりました…。
七十九年間、和の人生に優しく心寄せてくださった皆さま、本当に本当にありがとうございました。 心から感謝しております。
今頃、女学生時代に戻り、山野の畦道を下駄で走り回っていることでしょう。←高田&万里結太に手伝ってもらい、和のお気に入りスポットに少しずつ灰を置いてきましたので、んまあ、おてんば炸裂のはず。
ここ数日を思い返してみても、まっこと、ありがたかことでした。 お世話になった皆さまへ、ゆっくりじっくりご恩返しをしていきたいワタクシであります。 |