「祖父母が生きているうちに、いろいろ聞いておけばよかった・・・」
2005年11月1日
最近、鹿児島へ行ってから、自分のルーツが気になり始めました。 鹿児島で出会った皆さんが、ご自分の祖先について、とてもよく知っていらっしゃるので、・・・つまり、何も説明できず、とても恥ずかしくなったのであります(汗)。
父には、改めて、会って聞いてこようと思います。 ええ、電話で聞いても、(しらふでは)口数が少ない人なので、まったくお話になりません。 母には、電話で根掘り葉掘り、いろいろ聞いてみました。 私の祖父の、そのまた祖父あたりまでは、当然、口伝えでよくわかっているようです。 私の曾々じいさんは、陸軍省にいた人で、日露戦争の頃、省の命を受け、ロシアへ渡って諜報活動していたところ、それがロシアの知るところとなり、向こうで処刑されてしまったのだそうです。 国に貢献したということで、その昔、地元で大きな葬式が行われたそうですから、資料を調べれば、もう少し詳しいことがわかるかもしれませんね。 「当時の様子を把握するために、まず、『坂の上の雲』を呼んでみては?」と、旅サラダの構成作家さんに教えてもらったところです。
そして、祖母の祖父。 この人物は、西南の役の際、田原坂で亡くなっていました。 祖母から、「熊本城を落とせずに帰ってくる最中、道の傍らで、虫の息になっていたお祖父さんを近所の方が見たそうです。肩の辺りに大きな傷があり、傷口からウジがわいていたと言いますから、そこが最期の場所でしょう。力がなくなり、座り込んでいたということでした」と、聞いてはいましたが、田原坂の石碑にある36人の中に、曾々じいさんの名前が入っているということは、今まで知りませんでした。 田原坂の土には、今も銃弾が埋まっているそうですし、それらの中には、銃弾同士が空中でぶつかって土にめり込んだものもたくさん含まれているのだとか。 弾に弾が命中するなんて、一体どれだけ大量の銃弾を降らせたのでしょう・・・。
さてさて、だんだん話が熱くなってきてしまいました。 以前、取材で、田原坂のすぐそばにある、その名も『田原坂』という、一日に一組しか お客さんを入れない郷土料理のお店があったのですが、今も、お元気に開けてらっしゃるでしょうか。 郷土料理というよりも、目の前の田んぼと畑で、米、野菜、果物に至るまですべてご自分たちで手作りし、庭で育てたヤギの乳を搾ってもてなしてくださる、自給自足料理の農家レストラン、とでもいいましょうか。 本当においしくておいしくて、・・・よく思い出します(笑)。 たとえば、「あ、このキャベツ、おいしい!」と、思っても、よく噛んで味わっているうちに、「やっぱり、田原坂で食べたキャベツの方がおいしかったなぁ・・・」とか、「どんな高級品より、やっぱり田原坂で食べた、“摘みたて”イチゴに敵うものはないわ」とか、「ヤギの乳は臭くないはず。だって、田原坂では、ヤギの毛やフケが乳に混ざって臭味にならないよう、一升瓶を使って乳搾りしてたから大丈夫だったもん」とか。
う〜ん、私って、頭の記憶力はダメダメけど、舌の記憶力だけは相当いいかも(笑)。 田原坂へ、まずは舌の記憶で呼ばれそうな、食い意地の張った子孫ですみません。 いつかまた、今度はゆっくり訪れて、石碑を見、坂を歩き、大地の恵みを味わってきたいと思います。 ちなみに、祖父方は川内の「森」、祖母方は大口の「隈元」という家が、私のルーツです。
PHOTO「さつまいもの・・・」 親戚のおじさん、おばさんたちと、城山観光ホテルでいただいたタルトです 遠く桜島を眺めながら、ペロリでした♡ |