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[11] 2006年 1月14日(土) 18:53
体験記 |
こずえさんは辛い不妊治療も乗り越えていらっしゃる分、普通の人よりずっとずっと強く人の痛みのわかる素敵な方なんでしょうね。私なんかまだまだです。 私の方が元気をいただきました。 昨日朝刊の一面に『子供の発達障害科学的に解明』とありました。 阪大と浜松医大が協力し4月に研究センターが発足するそうです。 これからどんどん医学もすすみこれからどうなるかわかりませんね。 こずえさんのいうようにどんな診断がついても元気で明るく生きていればそれでいいと思えることこそが大切ですね。人と比べる必要なんて全くありません。みんな違って当たり前!違うからこそ面白いですよね。娘は絵を習い始め喜んで通っています。本人が楽しんで打ち込めるものに出会えるといいですね。それではまた。 |
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[10] 2006年 1月14日(土) 0:31
体験記 |
いくえさん、あたたかいメッセージありがとうございました。
おととい、息子の知能テストがありました。自閉症の診断はまだできないようですが、知能的に問題があるかどうか・・・ということでした。 テストの結果、知能的には問題はないとのことでした。年相応のレベルだそうです。でも、診ていただいた先生もおっしゃってたんですが、言葉の理解がまだまだできていないそうです。 息子が自閉症なのか違うのか、最近は診断名はどうでもいいと思っています。 息子が元気で楽しいことやうれしいことをたくさん感じてくれて幸せだぁと思ってくれればそれでいいと思っています。 ・・・・と本当にそう思ってるんですが、時々弱い自分がでてきてなかなかちゃんと受け止めきれない時もあって困っています。 いくえさんがおっしゃるように夫婦仲を良くし、息子が安心してすごせる「家庭」を作ってあげることも大切ですね。 主人は息子がかわいくて仕方ないようですし、私の気持ちもよくわかってくれています。それがとても救いになっています。
いくえさんも3人のお子さんの子育てで大変なところを私にメッセージをくれてホントにうれしく思っています。
また、何かあったらお話を聞いてくださいね。
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[9] 2006年 1月13日(金) 0:17
体験記 |
こずえさん初めまして。私には7歳・2歳・8ヶ月の3人の子がいます。7歳の長女は2歳の時に自閉症と診断されました。激しい癇癪と視線が合わず無関心、言葉の遅れ・・・当時はノイローゼになる程大変でした。医者は脳の問題で育て方には問題はないといいます。実際下の子にはその傾向が見られないのでそうかなとも思いました。そう思うことで安心もしました。 しかし自閉症の子を育てた女性の講演会で『子は親の鏡』だと話されました。心が荒んでいる状態で育児をすると子は自分を映し出すように育つ、もし子供時代は健全に育ったとしても15〜20年後手に負えない人間になる。困り事は子供の時は人に相談でき乗り越えていきやすいですが大人になってからではとてつもなく辛いものがありますよね。最近のニュースで十代の殺人なんてぞっとしてしまいます。小さい今わかってよかったと思います。1番の治療法は子供よりまず主人をたて夫婦仲をよいものとすること。家庭の雰囲気がよければ子供の心を癒します。子より主人を大切にするなんて解決法になりそうもないですし、そうするにはかなりの努力も必要ですよね。でもこれがかなりの効果を生み出します。常同行動も強くほとほと手を焼いていた娘が私の心と家庭生活の安定と共に、人との関わりに興味を示すようになったのです。それ以来『人間の可能性には奇跡もあるし不可能なんてない』と思えるようになりました。現在は養護学級ですが学力も普通の子と変わらなく伸びこの成長には医者ですら驚いています。悲観する必要など全くありません。ゆく先母親次第だとも思うのです。むしろ悩みが小さいうちでよかったと思いますよ。大変ですが頑張りましょうね。私たちにしか育てられないと思って神様が与えた子供なんですから・・・ 偉そうな事ばかりでごめんなさい。 |
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[8] 2006年 1月11日(水) 9:09
体験記 |
不妊治療に大賛成です。それについて迷っている方々、勇気を振り絞っての一歩を歩んでください。私も迷いに迷い、治療中も妊娠中のお薬のことなどで、疑心暗鬼の時もありました。でも、みんなの手をお借りしないと生まれない命もあるのです。出産も出産後も大変でしたが、元気な子供を見ると、この子はたくさんの人々の努力や知識のおかげによって恵まれた命ですから、この子の人生を無駄にしてはいけないという大きな責任感を私にくれました。そういう人々の愛の上に自分が生かされていることを知り、そして自分も社会に恩返しをしてくれるような人であって欲しいと思っています。 |
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[7] 2006年 1月10日(火) 10:07
体験記 |
33歳の主婦です。現在は結婚7年が過ぎて、まだ子供が居ません。 人工授精〜体外受精を経験しましたが、大出血と共に 流産したりです。私の場合は、卵巣機能不全との事。 もともと、ストレスで生理が来ないのは当たり前な感じだったので・・・。 結婚した相手は、子供に関してはもっと簡単に妊娠すると思っていたようでした。私が病院に行っている姿を、気の毒だな・・・。と見ていた様でした。 最近は、「不妊治療は反対だ」と宣言されて、ショックだったけど 女の幸せはそれだけじゃないよね〜。妹も、親友も結婚後2〜3ヶ月で妊娠。 早く、心の底から祝える日が来たら良いな〜〜〜〜〜 |
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[6] 2006年 1月 5日(木) 16:56
体験記 |
今年で結婚して10年目になります。結婚して1年少しした頃妊娠しました。でも結果はケイリュウ流産でした。一度出来たんだからまた出来る。そう思ってました。でも1年たっても2年たっても出来ませんでした。3年過ぎて病院へ行った方がいいのではと考えるようになりましたが勇気が出ませんでした。逆にもう子供出来ないと言われそうな気がして。そのうちだんだん自分にあきらめるように言い聞かせるようになってました。仕事もパートから常勤そしてやっと正社員になねて3ヶ月突然妊娠しました。でもそこで私の病気が発覚ぎ医者から赤ちゃんは諦めるように言われました。でもそんな事出来るはずがなく産む事に決め大学病院を紹介され治療しながら無事元気な男の子を出産できました。産む前に性別たずねたら医者から君はそんな事言ってる場合じゃないとおこられたりして本当に産まれてくるのかなと思ったけど。向井さん所と同じ二歳です。私は年齢も40歳。二人目なんて考えてもみなかった。まだ3ヶ月だからどうなるかわからないけどお腹の中にきてくれただけで嬉しいです。私は不妊治療もしてないし大変な思いしてないかもしれないけどきっときっと向井さんみたいに頑張ってればいいことあるはず。頑張りすぎはだめだけど。パソコンなれてないのできちんと書けなくてすみません |
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[5] 2006年 1月 5日(木) 16:00
体験記 |
現在、七歳と二歳の子の母親として子育てに励んでいます。が、五年前に妊娠八ヶ月で女の子を死産しました。亜紀さんの著書「会いたかった」にも書かれている、早期胎盤剥離です。私の場合は原因が不明で、未だに何が悪かったのか解りません。その当時はそんな名前も知らずに安定期になれば無事に生まれるものだと思っていました。朝からお腹の異変に気づいていましたが前の日の検診で異常が見られなかったし母親も大丈夫と言っていたので様子を見てしまいました。病院で胎児の心拍停止を聴かされたときは頭が真っ白になりました。朝の時点で病院に行っていれば助かったかもしれないのに、私はあの子を殺してしまった・・・。その思いが五年経った今も心を締め付けます。あの時担当の先生に言われた「安定期とは母体が安定しているだけで赤ちゃんが安定しているわけではない。」という言葉が忘れられません。 |
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[4] 2006年 1月 4日(水) 0:02
体験記 |
息子を出産したのはいまから3年程前になります。 なかなか授からないし、もともと生理不順なこともあり「もしかして・・・?」 と思い不妊治療を専門としている婦人科に行ってみました。
調べているうちに「多嚢胞性卵巣症候群」ということがわかりました。 卵子が育たないということで、排卵誘発の薬や注射、タイミングなどの治療を受けました。 そのおかげもあって妊娠することができました。 妊娠中は順調・・・と思われたのですが、妊娠初期よりタンパク数値は高かったのですが、後期になりそれプラス高血圧にもなり「妊娠中毒症」ということで入院になりました。 入院して1週間目に破水がおこりました。中毒症ということもありなるべく早く出産したほうがいいということでしたが、なかなか子宮口が広がらず、子宮口を広げる薬と注射を打ちました。それからは順調に進みました。
出産後の1ヶ月検診で私のタンパク数値が下がっていませんでした。産婦人科から内科に行くように言われ、検査をした結果腎臓の病気(igA腎症)ということがわかりました。 息子が2ヶ月の時に2週間ほど入院しました。この病気は治ることはないようなので、投薬と生活の見直し、通院を欠かさないことで現状維持ということになります。
私の病気も安定してきて息子もすくすく成長している・・と思った矢先、息子の様子がおかしい・・・? 言葉の発達が遅いなとは思っていたのですが、療育センターでみたいただいたところ「自閉症の傾向がある」とのことでした。
「やっぱり・・・」と思いながらも、不妊で大変だったこと、その後の私の病気・・・そして息子の自閉症・・・。
もう何もかもイヤになったこともありました。すべてのことが受けとめられませんでした。 「どうして私だけ・・・?」と何度も何度も思いました。
いまは、息子の小さな成長もうれしいし、落ち込むこともたくさんあるけど、なんとか前向きになれるようになってきました。
これからも辛いことがたくさんあると思うけどなんとか息子のためにも元気に過ごしていきたいと思っています。 |
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[2] 2006年 1月 3日(火) 8:49
体験記 |
ふたごを出産するまで結婚して5年、 治療を初めて4年かかりました。 病院は3軒、変えました。
最初の病院で夫婦ともに異常は見つからず タイミング治療をはじめて半年で 妊娠しました。 そのときもふたごでしたが 7週で不全流産してしまいました。 病院で流産の手術をしましたが その後激痛と出血が止まらず、 医師の説明も不十分で不信感が つのり、病院を変えました。
次の病院で調べてもらったら 流産が原因で卵管が両方詰まってしまってると 言われ、卵管を通す手術をしました。 手術の結果右の卵管は通りましたが 左の卵管は癒着がひどく、左側の卵巣は 卵巣水腫でした。 右側の卵巣が頼みの綱でした。 ここの病院でAIH(人工授精)を4回受けました。 4回目を受けた後、医師にIVF(体外受精)を すすめられましたが、気持ちに整理が つかず、結局通院をやめました。
治療をしている間、友人や親戚が つぎつぎと妊娠して結婚していき 周囲にも色々言われ始めて 色んなことが嫌になり、病院に通っては 休み、泣いて、また治療を再開する日々でした。
そんな中、県で不妊治療相談を開設したと 新聞で知り、電話しました。 私が住んでるところはかなりの 田舎なので病院まで遠く、もう通う病院も つきていたので最後の望みをかけて この不妊治療相談を受けました。 現役の医師、それも不妊治療の専門医に 私はこれまでの経過をあらかじめ書いておいて これからどんな治療を受けるべきか 相談しました。
夫も一緒についてきてくれましたが 夫はそれまでも私が泣いてばっかりいたので 「子供はいなくてもいいよ」と 言ってくれてました。
医師はIVFを勧めました。 前回違う病院で勧められたときは 気持ちの整理がつかなかった私ですが 医師が十分に説明をしてくれたし 私自身、迷いが消えてました。
それからそこの病院で治療を 始めるのですがすぐにIVFは出来ませんでした。 大きな病院ですので医師が 何人も居て外来のたびに医師が違うのです。 私はすぐにでもIVFを受けたかったのですが AIHを3回受けました。
3回目の後、生理がきたとき 思い切って「次はIVFを受けたい」と言いました。
それからまた治療を少し休んで IVFに挑戦する準備をしました。 鼻から吸い込む、ホルモン薬、注射を しました。 採卵するときの痛みは今でも しっかり覚えています。
そのとき採れた卵は8個、 受精したのは3個でした。
2個をお腹に戻したとき それだけで「母」になれたような 喜びがありました。
一回のIVFで妊娠するわけないと 思ってた私たち夫婦でしたが 一回で妊娠しました。 妊娠反応があると言われたときは 実感がなく、流産した記憶が 蘇り素直に喜べませんでした。
その後、多胎妊娠、切迫流産で入院〜 子宮頚管を縛る手術〜 28週間からは管理入院をし 年末年始は病院で過ごし 飽きるほど退屈な時間を過ごしましたが 36週でふたごを無事出産しました。
今ふたごはもうじき1歳になります。 毎日忙しく、育児は大変ですが ずっと会えるのを待っていた子供達ですから 楽しみながら大切に育てていきたいと 思ってます。
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[1] 2005年 1月 1日(日) 0:00
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