|
|
|
[1078-1] 2006年10月11日(水) 3:58
コメント:
私は車椅子の障害者で、43歳で出産しました。息子はもうすぐ4歳。 歩けない者が車椅子を押してもらう、目の見えない者が手を引いてもらうことと、子宮を喪失した者が子宮を借りて子を成すことは、同じことだと思うのですが、どうでしょうか。 |
|
[1078-2] 名前:匿名 2006年10月11日(水) 4:17
それは違うと思います。 私の妻は胎盤早期剥離で帝王切開しましたが、 医師に生命の危険を告げられました。 たまたま一週間前に同じ症状の方が、 お子さんと共に亡くなられたそうです。 何を言いたいのかお分かりになると思います。 出産は母体にとって、少なからず危険が伴います。 また、妊娠中の変化や出産後の体調など、身体的制約が伴います。 ですので、私は車椅子を押したり、手を引いたりすることとは異質のものと考えます。 |
|
[1078-3] 名前:うみおくれクラブ 2006年10月11日(水) 9:34
車椅子を押してもらうことと、他人の子宮を借りて産むことは、行為自体は全然ちがいますが、体に障害のある者が、誰かの協力を得てあることを成すいう本質はおなじだということをお伝えしたかったのです。 |
|
|
|
|
|
|