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「近い“バンビ線”」

2007年4月27日

万里・結太は、何故か、山手線のことを“バンビ線”と言います。
ちゃんと“山手線”と言うこともできるのですが、向こうから走ってくる山手線を発見したりすると、つい、嬉しさと親しみを込めて“バンビ線”と言ってしまうようです。

“バンビ“とは、”万里”のことなので、・・・もしかしたら、万里は隠し財産を使って、山手線を何車両か買って持っているのかもしれません(笑)。あ、株かな?
ちなみに、今のところ、“ウータ(結太)線”はないようですので、彼が今後、どのような買収劇を繰り広げるか、ちょっと楽しみだったりもします。

冗談はさておき。
この場所、本っ当に電車を近くから見ることができる、大興奮スポットなんですよ。
第一京浜沿いのコインパーキングなんですが、金網の向こうが、すぐに線路なんです。
品川駅を出た山手線が田町へ向けて出発して数百メートルのところにありますので、電車に乗っている皆さん、線路脇に、このような凸凹トリオを見つけたら、是非、手を振ってやってくださいませ(笑)。

もちろん、内回りからだけでなく、外回りからも見えるはずです。
パーキングの金網のすぐ内側が、山手線の内回り、で、次が外回り、京浜東北線、東海道線(湘南新宿ライナー?)だと思うんですが、どうでしょう? 合っていなかったらスミマセン。
この日は、スーパービュー踊り子も走ってましたし、整備用の建物に入っていくサンライズエクスプレスや、あずさも見ることができ、子供たちは大喜びでした。


「こちらは、御影のケーキ屋さん」

2007年4月27日

御影の『高杉』さんのケーキです。
こちらは、ケーキの王道を守っているお店ですね。
落ち着いた雰囲気といい、店員さんの優しい対応といい、本当に素敵でした。
ここでは、この、かわいい“チョコレートクリーム君”が乗っかったケーキをいただきつつ、『旅サラダ』のみんなに差し入れするマカロンができあがるのをゆ〜っくり待ちました。

このあたりも、震災のとき、かなり被害があったと聞きますが、その大変さを乗り越えた上で、この“ゆ〜っくり感”を醸し出すことができてしまう神戸パワーには脱帽です。
マカロンもおいしかった!
何故、もっともっとたくさん買っておかなかったのか、ちょっと後悔しました・・・。


「すっごくかわいいケーキ発見!!!」

2007年4月27日

三宮駅前のイグレックにて。
ケーキには目のない私ですが、こんなにかわいいケーキを見たのは初めてかも!
他のケーキ屋さんのケーキとは、見た目からして全然違ってますぅ〜。うっとり。

ブタまんと明石焼きを食べた直後だったので、アレコレ食べられなかったのは残念無念でしたが、パンとジャムとドレッシングとドライトマトのオイル漬けを買って帰りました。

北野ホテルの山口シェフのお店なんですね。さすがです。
神戸に詳しい方、是非、どのケーキが特にオススメか、教えてくださいね。


「“肉まん”ではなく、“ブタまん”です」

2007年4月27日

先週、神戸へ行った際に撮った写真です。
「せっかくだから、南京町で肉まんを食べよう!」と、マネージャーと繰り出したのですが、神戸では(関西では)“ブタまん”と言うのが正解なんですね。
その“ブタまん”の一番人気は、言わずと知れた『老祥紀』さんで、いつも長〜い行列ができているのが、今も昔も南京町のお約束風景になっているわけですが、・・・今回は、タクシーの運転手さんのオススメで、元町商店街にある『老祥紀』さんへ行ってみたのでした。

南京町のお店をやっているのが弟さん、この元町商店街にあるお店は、そのお兄さんがやっているのだそうで、ブタまんのレシピ的にはまったく同じらしいですね。
「ならば、(並ばずに)お兄さんのお店で買いましょう」ということになり、こうして、じっくりブタまんができあがる行程なども見学しつつ、おいしいブタまんをゲットしたのでした。わーい!

運転手さんの言うことには、この日のブタまんは、「ジューシーさが、いまいち」だったそうですが、埼玉出身の向井、山梨出身の吉村マネは、ハフハフ大満足!
このあとも、高架下でダンナのTシャツを買い、明石焼きを食べ、子供服を買い、ケーキを食べ、お土産をゲットし、・・・本当に本当に神戸を楽しんだ半日となりました♡


「ご無沙汰すぎ?」

2007年4月27日

こんにちは。
パソコンに向かう時間が激減している向井でございます。
幼稚園が始まり、子供たちが新しい環境に馴染めるかどうか、あれこれ心配していたワタクシですが、いやはや、自分自身も新しい環境に馴染まなきゃいけなかったことをうっかり忘れていました(笑)。
大丈夫、馴染んできましたよぉ〜。

実は。
最高裁の決定を読んで眠れなくなり、「何も考えずに、とにかく眠りたい」と、つい睡眠薬のお世話になってから、体調を戻すのに少し時間がかかってしまいました。
人それぞれ、いろいろな“プチうつ解決法”があると思いますが、私の場合は、できるだけナチュラルにやり過ごした方がいいみたいです。

記者会見を開き、「決定を読んで、始めはガッカリし、怒りも覚えましたが、今は違います。実子と認められなくても、毎日、一緒に暮らすことができているのですから、高田家は幸せです」と、表現したかったのですが、それが上手く伝わらず、つい軽い精神安定剤を飲みたくなった・・・のですが、やめておきました。
バッグの中に、睡眠薬と導眠剤と精神の薬を入れて持ち歩いているだけで、かなり安心しますよね。お守り代わりといいますか・・・。

これから、ゴールデンウィーク。
気持ちが弱っている人にとっては、“五月病”という言葉が耳の中で怖ろしく響いてしまう季節がやってきますが、・・・考えてみれば、5月ほどさわやかな季節もないわけで、自然に身をまかせ、のんびりゆっくり気持ちのいい風に吹かれておけばいいですよね。
「夏は食中毒を起こしやすい」とか、「秋は太りやすい」とか、「冬は風邪をひきやすい」とか、そんなのと同じノリで、「春は精神的に疲れやすい」と、思っておきましょうか。

さて。
今日は、ここ数週間の間に撮った写真をできるだけたくさん貼り付けておきますね。
まず、ここに貼ったのは、『旅サラダ』の仲間の中でも、ちょっと珍しい共通項を持っている3人衆であります。
向かって右側から、スタイリストの柳生昌子ちゃん、ムカイ、そして、朝日放送カメラマンの西田慶仁さんなんですが、実は、私たちは3人とも「双子の男の子」を育てているのでした!

ちなみに、うちは3歳ですが、柳生ちゃんと西田さんちのお子ちゃま達は2歳。
是非とも、お下がりを送らせてもらいたいのですが、・・・もっと赤ちゃんだった頃の洋服は、あまり傷んでいないものが多かったんですけど、最近の万結の洋服は、んまぁ、ヨレヨレのクタクタになっちゃってて、ちょっと恥ずかしい状態なんですよね〜(汗)。どうしましょ。
皆さんはどうなさっていますか?

取れないシミのあるシャツは、その上から、Tシャツを重ね着させたりして工夫・・・というか、ごまかしているのですが(笑)、そのあとは、巾着袋にしたり、とも猫のシーツにしたり、靴磨きに使ったりしている高田家でございました。

ズボンは、どんどん汚れていくので、もうあまり買わないことに決め、「洗濯して乾いたら履かせる」サイクルを繰り返し、擦り切れるまで使っていますが、・・・女の子はそうはいかないでしょうし、いやはや、大変でしょうね〜。
幼稚園のお友達たちを見ていると、男の子の着ている洋服と、女の子の着ている洋服の“擦り切れ度”が明らかに違っているので、・・・万結がオシャレに目覚める日がゆっくり訪れてくれることを祈るのみです(汗)。

さてさて、このあとも、時間の許す限り、貼り付けていきまっせ。


「昼下がりの埼京線にて」

2007年4月19日

今日の写真は、検診へ行く途中で発見した、光り輝く(?)車内吊りです。
『オーラの泉』が、今週からゴールデンタイムへお引越しするんですね。
肝心なところが、吊り革で隠れてしまっていますが(笑)、土曜日の午後7時54分からだそうです。初回の21日は、2時間スペシャルなのだとか。

ちなみに、お引越し後の第2回目の放送には、・・・私が登場します。
4月28日(土)、お時間のある人はご覧になってみてくださいね。
私の顔はヨレヨレなので、まったく見なくていいのですが、多分、何かが伝わると思います。

国分さんとは初対面だったのですが、実は、美輪さんとも、江原さんとも、すでに非常に意味のある出会いをしていた向井です。
特に、江原さんとの5年前の出会いは、本っ当に強烈で、・・・ただし、お会いした当初は、江原さんのおっしゃることを、「はい、はい」と聞きながらも、ほとんど信じていなかったんですけど。←すっかり、バレていたようです(笑)。

さてさて、あまり話しすぎると、番組を見るのがつまらなくなってしまうかもしれませんので、このくらいにしておきますね。
美輪さんや江原さんのアドバイスを受け入れるか、受け入れないかは、見る人それぞれの自由ですし、それは、画面を見た瞬間や、何らかの言葉を聞いた瞬間に、パッと直感で決まるもののような気がしますので。

それでは、今日はこのへんで失礼します。
明日は、朝早くからの講演なので、今夜は最終の新幹線で前ノリ。
神戸の夜景を見ながら、うっとり休みたいと思います♡


「向井メモ」

2007年4月13日

このブログは、あくまでも明るく楽しいものにしたいと思っていたのですが、・・・子供たちを守るためには、そうもいかなくなることが、きっとありますね。
今日はここに、記者会見の前日、自分の頭の中を整理するために、図書館でガーッと打った文章を載せておこうと思います。

記者会見では、この文章を軸にして、私は自分の考えを発表しました。
実際には、メモ書きも何も持たずに会見したので、ここにある表現と若干ニュアンスの違う言葉を使ったりもしましたし、記者の皆さんの「ハテナ顔」を観察しながら、もっともっと噛み砕き、わかりやすい言葉を選んで、長々と説明した箇所もあります。

が、私が1時間もかけて説明した現在の心境や状況の、ほんのほんの一部分が抜粋され、まるで私が、「ガッカリし、怒ってます。だから、特別養子縁組にはNOです。子供はアメリカ人として育てます」と、感情的になって言っているような雰囲気に仕上がっている記事を、どうか、このページにいらしてくださった方だけでも、鵜呑みにしないでいただけたら幸いです。

実際、記者会見の後に、高田道場へ電話をしてきて、「向井さんが話していた“特別養子縁組”についてなんですけど、よくわからなかったので、もっと噛み砕いて説明してくださいませんか?」と、私のマネージャーに聞いてきた記者もいたそうです。
「僕は、向井は非常に丁寧に説明していたと思いますが、どの部分がわからなかったのですか? 養子縁組の手続きについては、母欄の解釈について、本の方にもかなり書き込んであったと思いますが、」と、お答えし始めたところ、「あ、向井さんの本、読んでません」とのお返事だったとか。←正直でいい方であることはわかりますが、せっかく天下のNH○に入社したんですから、できれば、もう少し頑張ってくださいよぉ〜ん。百科事典で引くとか、ネットで検索するとか、先輩記者に聞いてみるとか、ねっ!

他にも、「子供さんたちの国籍はどこなんですか?」とか、「最高裁の判決が出たということですが、どんな判決だったんですか?」などという、およそ記者とは思えないご質問の数々をお受けしてきた高田道場としては、「向井さん、ブログに自分の心境をしっかり書いておいた方がいいかもしれません」という結論に達しちゃいますよね(笑)。
熱心に資料を読んでくださっている記者さんが多いので、そういう方が目立ってしまうだけなのかもしれませんが、・・・一応、もう怒ったりしていない向井が、どんな風に迷い考えた末に、現在の結論へ達したのか、文字で表しておきましょうか。

ちなみに、弁護士と私の共通の感想ですが、私の説明したことを一番ストレートに書いてくださったのは、朝日新聞の記事でした。
パンパカパーン、おめでとうございます! って何でやねん(笑)。
ではでは、お時間のある方だけどうぞ。
誤字脱字があったらスミマセン。
結太にじんましんが出ているので、推敲なしで、そのまま貼り付けておきます。



最高裁の決定文を何度も読んでみた。
初めはガッカリしたし、怒りも覚えたが、今は少し違う。

私と子供たちの母子関係を認めてしまうと、公の秩序に反するという点が、出生届不受理の理由となっているが、特別養子縁組を成立させる余地が充分にあると、わざわざ4人中3人の裁判官が述べているところを見ると、私と子供たちの母子関係を成立させても、あまり公の秩序を乱すことはないとの判断がなされていることになるからだ。

つまり、最高裁の決定は、「代理出産による子との母子関係は認めないけれど、ささっと、特別養子縁組の手続きをすれば、法的にちゃんと親子になれますよ。そうすれば、友人知人にはもちろん、子供本人にも、“私たちは親子だよ!”と、自信を持って言えるようになります。それが、最高司法の考える“子の福祉”です」という意味を持つ。

代理出産によって子を得た人は、これまでは他人にその事実が知られることのないよう、ものすごく気を遣いながらチャレンジを行ってきたが、この最高裁の決定を読めば、逆に安心するかもしれない。
これからは、代理出産をしたことが役所等の知るところになったとしても、特別養子縁組が認められ、妊娠・出産を経て子を得た一般的な母子と何ら変わらない戸籍(=法的権利)を手に入れることができるということになるのだ。

ただし、その部分(本当に何ら変わらない戸籍記載になるのかどうか)を、家裁の人間に確認してみたところ、「備考欄のようなところに、“代理出産による”と書き込まれるかもしれない」と言っていた。←普通の養子縁組なら書かれても、特別養子縁組では、出生事項は省略されるはずじゃないのか・・・。

また、これまで、出生届を提出するにあたり、私が何十回も、「母欄には“高田亜紀”の名前を書きます。そのかわり、戸籍の備考欄には、“代理出産による”と書き添えてくださって構いません」と言ってきたのに対し、法務省の人間が、「戸籍に備考欄などありません。また、戸籍記載に使われる言葉に、“代理出産”とか”分娩者“という語句は存在しませんので、そのようなことはあり得ません」と、突っぱね続けてきた事実とも大きく矛盾している。

では、一体、誰の言うことを信じて進めばいいというのか。
海外で代理出産によって生まれた子をどう扱うかはもちろん、国内での代理出産を許可するか否かについても盛り込まれるはずの生殖補助医療に関する新しい法律は、今、話題になっている、「民法772条」問題や、「こうのとりのゆりかご」問題についての議論の迷走ぶりや、もう20年も決着のついていない「夫婦別姓」問題を見聞きしている限り、いつ制定されるものか、残念ながら想像もつかない。

けれど、せっかく最高裁の裁判官が「速やかな立法が待たれる」と言ってくれているのだから、代理出産をカミングアウトしている私たちとしては、その立法が実現するまで、このままの戸籍で待ってみるのも悪くないと思う。
特別養子縁組は6歳までしかできないが、子が6歳になる前から養育していた場合は、8歳の誕生日前日まで成立が許される。あと4年半余りの間に、いい法律ができあがることを祈るのである。←制定された時点から、遡って救済してもらえるかどうかはわからないし、そもそも、代理出産を望む者にとって嬉しい法律になるかどうかもわからないが。

ところが、そんな悠長なことは言っていられないことになった。
「待たれる」と言って、じっくり待っていられるのは裁判官たちだけで、私たち夫婦に向けては、「子供たちの出生届を2週間以内に提出してください。ただし、父:高田伸彦、母:シンディ・ヴァンリードと書かなければ受け付けませんし、2週間を過ぎても受け付けません」という連絡が入っているらしい。←こんな重大事を私たちに直接言わず、担当弁護士へ連絡してくる法務局・法務省の感覚ってどうなっているんだろう・・・。

私は、代理出産という方法で子を得るチャレンジをする決心をしたとき、「絶対に、約束違反・ルール違反をせずに真っ向勝負をしよう。将来、事の経緯をすべて子供に話して聞かせなくてはならないのだから」と、自分に誓った。そして、これだけは絶対に崩すつもりはない。
しかし、法務局・法務省の勧める、「高田とシンディの子として、出生届を提出する」というやり方は、あきらかにシンディ夫婦との約束に違反し、ネバダ州裁判所で受けた親子関係確定というルールにも違反することになる。

「ここは日本なのだから、日本の法律に従ってもらいますよ。アメリカでの約束やルールに違反しても仕方ないじゃないですか。その後、すぐに特別養子縁組が成立するのだから、母親であることを放棄しているシンディの名前が書類上に表出する時間は短いんですよ。ただし、相手方に“契約違反”で裁判を起こされたら、それは、高田夫婦で受けてください。私たちはただ、“シンディの名前を書かなければ出生届は受け付けず、日本国籍は二度と下りませんから、2週間で考えてください”と言っただけで、実際に彼女の名前を書き込むのはあなたたちなんですから、私たちは裁判に無関係です」というのが、日本の役所の立ち位置なのだ。

それでは、最高裁の裁判官が、「特別養子縁組をする余地が充分にある」と述べ、つまり、「高田亜紀さん、あなたは子供たちと特別養子縁組をしなさい。そうすれば、子育てに何ら問題はありませんよ」と、アドバイスした点についてはどう理解すればいいのか。
国際弁護士や、実際に特別養子縁組を扱っている弁護士にも、いろいろお話を聞きに行った結果、特別養子縁組は、まず子供たちに日本国籍を持たせなければ成立しない可能性が高いことがわかってきた。

つまり、万里・結太がシンディのお腹の中にいた時点で、私たちがネバダ州裁判所へ起こしていた「親子関係確定請願」が「胎児認知」の意味合いを持つものと認められるので、「高田とシンディの子」として出生届を提出しさえすれば、日本人男性が父親であることを認知した非嫡出子ということで、日本国籍が下りるというわけだが、そのためには、まず母欄にシンディの名前を書かなければ、話が始まらないというわけだ。←帰化するにあたっても、「申請書の母欄には、シンディと書いてもらいます」と、前々から言われているので、結局は同じ箇所が問題となる。

代理出産契約を交わすにあたってお世話になったアメリカ人弁護士は、「日本の正式書類の母欄にシンディの名前を書くのは契約違反です。書き込んだ名前は戸籍上からは消されるのでしょうが、役所には残ります。それは、州裁判所の命令(コート・オーダー)に背く行為でもあり、シンディ一家の生活を守るためなら裁判も辞さないと、申し上げておかざるを得ません」と言っている。
裁判沙汰になったら、シンディ夫婦や私たち夫婦はもちろん、双方の子供たちが悲しむのは目に見えている。言うまでもなく、それは、子の福祉にまったく適わない環境となる。

一体、最高裁裁判官の言う、「子の福祉に適う特別養子縁組」とは、具体的に、どんな手続きのことを指しているのだろうか。
出生届にシンディの名前を書かずに、つまり、約束にもルールにも違反せずに、万里・結太と特別養子縁組を成立させるには渉外養子縁組(国際養子縁組)が必要不可欠となる。

アメリカ人である万里・結太を、日本人である高田伸彦・亜紀が、まず国際養子として迎えなくてはならないのだ。国際養子縁組と特別養子縁組が一度の手続きで行える可能性もあるが、どちらにせよ、ここには大きなハードルが存在する。
国際養子縁組は、養子となるべき者の本国法により、その者、もしくは第三者の承認・同意、公的機関の許可・処分によって、「これまでは、私たちの子供であったこの2人を、これからは、あなた方夫婦に託します」というやりとりが正式に行われなければ成立しない。

すなわち、万里・結太の親になりたい私たちが日本の役所に国際養子縁組の申請をし、万里・結太の本国アメリカにおける両親がそれを承諾すれば縁が結ばれるというわけだが、実際には、私たち夫婦の申請に、私たち夫婦が承諾すればOKという手続きになってしまうからである。
実子との養子縁組はできないと思うが、しかし、最高裁が、「子供たちは私たち夫婦の実子ではない」との決定を下しているのだから、この、まるで自作自演のような手続きは可能ということになってくるのではないだろうか。

まさか、最高裁からのアドバイスが、契約や外国裁判の決定を無視することや、その結果、ホストファミリーと裁判沙汰になってしまうことも、「まぁ、仕方ないんじゃないですか」というような、いい加減なものではないと思う。
行政が、「早く、この件を処理してしたい」と思う気持ちは想像できるが、司法のトップが考える結論は、きっと大岡越前の時代から、美しいものであるはずなのだ。

どう考えても壁にぶち当たるので、「最高裁裁判官は、私に、子供たちのためにどう特別養子縁組すればいいと言っているのでしょう?」と、家裁へ質問しに行ってみた。
が、「この(決定文の最後に書き添えられている)補足意見は、あくまでも個人的な意見であり、“大雑把なアドバイス”であると考えてください。裁判官は、具体的な手続き方法についてや、それが成立するか否かについてまでは、考察していないと思います」という、驚くべき答えが返ってきた。
以下は、その際のやりとりだ。

「は? 手続きができるかどうかもわからないで、特別養子縁組の余地云々と言っているのですか?」
「そうですね。そうなります」
「今回の最高裁裁判官の中には、ずーっと法務省で働いてきた、ミスター法務省みたいな方も含まれているじゃないですか。“法務省と闘っているのに、ミスター法務省が裁判官なんて”と、初めはガッカリしましたが、でも、こういった部分については、きっと誰よりも詳しいはずですよね」
「いえ、そうとは限りません」
「じゃ、補足意見中で、特別養子縁組について言及した方々へ、質問の手紙を出してもいいですか?」
「いえ、裁判官は質問には答えません」
「でも、2週間以内に決断しなければならないんですよ。・・・じゃ、アメリカから裁判を起こされたら、日本の最高司法からの提言だったと説明しますから、3人の裁判官から、その提言を書き記した根拠を述べてもらってもいいですか?」
「いえ、裁判には関係しませんね。こちらの裁判官が、そのようなことに関わることは一切ありません」
「・・・じゃ、何のための提言なんですか? 誰に対する提言だったんですか?」
「ですから、大雑把な提言であり、これは、あくまでも補足意見としてですね、」
「子の福祉を最優先するはず国のトップが、子の福祉に関して、根拠のないまま、わざわざ補足意見を書き込むなんて、あり得ませんよね、ね?」
「ふぅぅ、私たち家裁の人間は、本来、申し立てが行われたことに対してのみ、お答えするものです。特別養子縁組の手続きなり、その間に発生するだろう問題点に関する裁判なりを、実際に行ってみたらいかがでしょうか?」
「つまりは、やってみなくちゃわからない、と」
「そうですね。子供さんに関する問題なので、比較的迅速に判断が下されると思いますよ」
「嗚呼、裁判ってナンなんでしょう? 何にも解決してないような気がしてきました。代理出産についての法律がないから、司法の場で判断してもらおうと思って、家裁・高裁・最高裁と頑張ってきたのに、最高裁で出た決定が、“早く法律を作りなさい”じゃ、何のために頑張ってきたんだろうと悲しくなりますよ。でも、その最後にアドバイスが書き添えられていたのですから、せめて、そこに救いがあるのかと思ったら、“手続きが可能かどうかまでは考えていませんよ“なんて、おかしいです、絶対に・・・」
「難しい問題ですからね」
「難しいから、具体的な根拠が必要なんじゃありませんか? ・・・じゃ、最後に一つ、教えてください。この子たちの親権は、誰が持っているんでしょう?」
「それも、難しいですね。やはり、申し立てていただかないと、調べようにも動けませんので」
「子供たちの本国法に基づくわけですから、私が親権を持っているのではありませんか?」
「そうとも言えますが・・・。私共としては、結論は言えません」
「・・・これが、日本なんですね。私たちがやってきたことは、ものすごくスケールの大きな社会科見学で、タイトルは、“ディスカバー・ジャパン”。この国の考えている“子の福祉”の実態が垣間見えたような気がします。実体がないという実態とでもいいましょうか」
「はぁ、そうですか」

家裁の人間としては、正しい返答なのかもしれないが、一市民としては、“たらい回し”にされているような気がしてしまう。
しかし、高田家としての結論は出さねばならない。
とにかく、「行政の勧める方法では、特別養子縁組をしない」。今はこれだけだ。

シンディの気持ちも、私たち夫婦の気持ちも、そして、もちろん、万里・結太の気持ちも、一つも幸せにすることのなかった、そして何より、子宮の働きを持たない女性に対する思いやりの一切なかった裁判結果。
親子関係を、それぞれの感情、日々の生活とは切り離し、権利面から構築してみせた裁判官による、根拠の見えない提言。
文面から浮かび上がってくる、「女性にだけは身体的ノルマを課しておかなければならない」という匂いに気が遠くなりそうになりながらも、・・・元気に生きていくしかない。

先日、入国管理局へ行き、子供たちの外国人登録の在留期限延長手続きをした際、待合室ロビーに溢れている何百人もの老若男女を見て思った。
子供たちと一緒に過ごせることだけでも、どんなに幸せなことだろう。しっかりしなくては。
まだまだ壁はある。そこに体当たりできるパワーを維持できるよう頑張ろう。

万里・結太は、私たち夫婦から見れば、実子ではない。
が、アメリカ人である子供たちから見れば、私たちは正式な両親である。
将来、「おい、お前の母ちゃんって、誰なんだよ?」と、友達に聞かれることがあるかもしれないが、「高田亜紀だよ」と、答えるのが正解だ。
2人の本国が発行した出生証明書に記載されている通りの、それが100%正式な答えなのだから、自信を持って言ってくれてOKなのだ。
その答えに恥じないよう、いい母ちゃんになりたいと思う。


「自分の発言が報道されているのを見て」

2007年4月12日

子供たちを幼稚園へ送り、迎えに行くまでの間、いろいろな新聞を読んでみたのですが、・・・キャッチーな言葉をピックアップし、内容を簡略化すると、こういう内容になっちゃうんだなと思いました。
う〜ん、仕方ないんでしょうか。

「正直、ガッカリし、怒りを覚えた」のは、決定文を受け取ったときの気持ちであり、「しかし、今は違う心境にあります」と、同じセンテンス中に続けて発言した部分については、キレイサッパリ省かれてしまっていました。
・・・こういうものなんですね。

なので、今の高田家は、ガッカリもしていなければ、怒りも覚えておらず、まったくの「ベタナギ状態」なので、どうぞご安心ください。
波の高さ3センチ、春の内海のように平和なのんびり風景です。

私たち夫婦は日本人なので、私たちから見た子供たちの存在は、「実子ではない」ということになります。
が、子供たちはアメリカ人なので、子供たちから見た私たち夫婦は、「正式な両親」ということになります。

少し特殊なファミリーの形態になるかもしれませんが、直球勝負を貫く決意の高田家にとって、最高裁や行政の提言に従うことは、シンディ夫婦との約束やネバダ州裁判所が決定を下した親子関係を裏切ることになり、「そんなことは絶対にしない。日本国籍や実の親子と記載された戸籍を取得するために、お世話になった皆さんを無視してしまっては、それこそ子の福祉に適わない」という決断に至りました。
ガッカリしたり怒ったりしていたら、頭は回りませんので(笑)、もうすっかり落ち着いていますよ。

日本の法律の狭間に漂っていた私たちの存在を、日本とアメリカの法律の狭間へと送り出した最高裁の決定について、もう少し時間をかけて勉強し、子供たちが小学校へ上がる頃までには、また新しい選択をしようと考えます。
↑ 特別養子縁組は、子供たちが8歳を超えたらできませんので(通常は6歳までですが、6歳になる以前から養育していた場合に限り、8歳までということです)。

この数週間、『家族未満』に続く、『続・家族未満』が書き上げられそうな勢いで勉強してきたワタクシですが、いやはや、まだまだ道のりは長そうですね。
目尻のシワを、どうにか脳みそに移植できるといいのですが(笑)。

それにしても。
昭和37年の最高裁判例に登場する人物は、今、お元気ならば90歳。
3歳の万結が90歳のおじいちゃまと同じ土俵に乗せられなければならないのなら、その土俵がどのような形をしたものであるのか、その3歳児が大人になった際に読むだろうことをイメージしながら、わかりやすく説明いただきたかったです。
・・・今の世に、大岡越前様がいらしたら、どんな風におっしゃったんでしょう??

さてさて、今日は、このへんで。
土俵の形としては、高裁決定に説明されているものが一番美しかったと思う、高田家代表ムカイでございました


「きゃんぴょう&ベベクス、大好き」

2007年4月11日

今日の会見は、とても緊張しました・・・。
が、私が硬くなってきたら、横からダンナが膝を叩いてくれることになっていたので、それが功を奏し(?)、どうにかこうにか、現在の心境や状況をご説明することができたと思います。
弁護士からも、「よく理解して話されていましたね」と、まあまあ褒めていただき、・・・ネバダ州裁判所による親子関係確定や、国際特別養子縁組、行政の勧める出生届の書き方など、やや難しげに聞こえる部分をうまく伝えることができたかどうかは謎ですが、とにかく、一つ、宿題が終わったところです。ふぅぅ。

しっかし、試験が終わって、もう少し開放的な気分になれるかと思いきや、「あそこはこう答えればよかったかも」とか、「もっと違う言い方がよかったかも」と、んまぁ、なかなか落ち着けないものですね。←ただし、同じA型でも、ダンナは、「もう終わったことだろ。お疲れさん! ベストを尽くしたと思うよ」と、かなりスッキリしている様子です(笑)。

明日からは、母の見舞いに行ったり、幼稚園の持ち物すべてに名前シールを貼ったり、溜め込んでいたお礼状を書いたり、読みたかった本を読んだりしたいと思います。
このブログも、もう少し頻繁に書きますし!!!
ブログのリニューアルも、私がデザイナーのFさんにお会いしに行く時間が作れなかったばっかりに、かなり遅れてしまいましたので、・・・また近いうちに、作戦を再開しますね。

あ、だんだんお腹が空いてきたかも。
・・・緊張がほぐれてきた証拠ですね。
さっき、結太が、「ニンジンとダイコンのおみそしると、きゃんぴょうまき(干ぴょう巻)と、おにくと、メロンちゃんがたべたい!」と、やけに具体的にリクエストしてくれたので、速攻で干ぴょうを炊き始めてみたのですが、柔らかくなる前に2人とも眠ってしまったので(他のメニューは間に合いましたっ)、・・・これから、ダンナと2人、干ぴょう巻で打上げ会でもしておきましょうか(笑)。

薄味&くたくたに炊いた干ぴょうで作る“きゃんぴょうまき”が大好きな万結には、一晩置いて、味の馴染んだところを食べてもらいますね。
幼稚園が始まってから、2人ともすごくお腹が空くようで、メッチャ嬉しいと同時に、新しいメニュー開発に取り組まねばと今更ながら焦り始めた、マンネリ料理主婦でございました。

P.S. 金曜日にアップした写真の中に、かわいい「レンゲ」の写真があったのですが、ボケていたのか、慌てすぎていたのか、「レンゲ」を「ツツジ」と打ってしまっていた私!
自分では、「レンゲ」と打っているつもり満々だったので、読み返しても、まったく間違いに気がつかなかったです〜(恥)。ご指摘、ありがとうございました。
小学2、3年生の頃に通っていた、馬宮東小学校付近の土手から遠く眺めた、レンゲ畑のパッチワーク風景は忘れられません。
元気なマメ科植物ですから、以前はよく緑肥として田んぼに植えられていたものですが、・・・今はあまり見ないような気がしますね。
生物農芸学科中退、実はかなりレンゲ好きの向井でございました。←間違えちゃったのが情けないっス!

P.S.A 今日の写真は、先日、成田エクスプレスに乗って横浜へ行った際のるんるんショットです(笑)。
ちなみに、2人は未だに「なりたベベクス!!!」と呼んでいます。
他の電車については、ほとんど正しく名前を言えるようになっているのですが、「ベベクス」だけは、何故か進歩ナシなのでありました。


「試験前日みたいです」

2007年4月10日

今日から、幼稚園が始まりました。
昨日の入園式では、園門の前にTVカメラがいて(うぇ〜ん!)、お決まりの「入園式」と書いてある看板前での記念写真が撮れなかったため、今日は撮ろうと思っていたのですが、・・・あまりにヨレヨレのノーメイクだったので、やめときました(笑)。
園庭で遊びたくてウズウズ、じっとしていない万結、寝癖隠しのニットキャップを被りつつ、子供たちを追いかけるダンナを見ても、たった1日違うだけで、もう全っ然、記念写真にならないものなんですね〜。

さて。
今日は、久し振りに図書館へ来て勉強をしております。
昨日の入園式で、幼稚園にご迷惑をおかけしてしまったので、いきなりですが、明日、記者会見を開くことにしたんです・・・。
ふぅぅ、すっごく緊張してます。

『戸籍六法』や『実務手引き』などなどを眺めつつ、「どう説明すればいいのかな」と考え始めたのですが、胃がキリキリするので、・・・ハイ、このブログを打つことにしたのでした。
最高裁の決定に対し、当事者としての疑問や戸惑いをお話するつもりですが、それが、最高裁への批判にならないよう、一市民としては、ま、ない頭を悩ませるわけです。
でもまあ、あんまり気を遣うのもおかしいのかもしれないですね。

ふぅぅ、息が苦しくなってきそうなので、食堂でコーヒーを飲んできます。
食堂のおじちゃんが、いつものおじちゃんなら、「あ、コーヒー? ちょっと待ってて。今、新しく落としてあげるから」な〜んて、優しくしてもらえるんですけど。
130円のコーヒーでも、そんな風にして淹れてもらうコーヒーはメッチャ格別なんですよね♡

今、コーヒーを飲んできました。
いつものおじちゃんではなく、加えて、150円に値上がりしていました(笑)。
でも、「お砂糖もミルクもいらないです」と言ったら、「ブラックですね。ありがとうございます。儲かります」と笑い、なみなみと注いでもらえたので、ちょっと嬉しかったです。

さて、六法を読んでいても、幸福追求権や親権についての文章に目が行き、なかなか考えがまとまらないので、帰って、ハンバーグでもこねてみます。
冷蔵庫の中に、大好きなカチョカバロ・チーズが入っているので、ハンバーグに乗せてこんがり焼き、ハフハフ食べるつもりの四十路主婦でございました。

P.S. 本日貼り付けた写真は、先日、家裁へ「最高裁決定文の後に書き加えられていた、裁判官の提言(のようなもの)について、具体的に説明してほしい」と、質問しに出かけた帰りに撮った、お役所街のど真ん中に咲く石楠花です。
葉っぱは虫に食べられていましたが、んまぁ、あれだけ交通量の多い道路沿いで、これだけ元気に咲いているのはカッコイイですよね。
日比谷公園の桜吹雪をバックにひときわ目を惹いた、ドキドキするくらい鮮やかな赤でありました。


「春 そのG」

2007年4月6日

お隣のお家に、ちょこっとお邪魔させていただき、馬酔木の可憐なお花を撮影させてもらいました。ありがとうございます。
「“あせび”というお花なんですよ、馬に酔う木と書くんですって」と、しっかり教えていただいた上に、見事に咲いた石楠花の花まで、お言葉に甘えていただいてきちゃいました。わーい!

持って帰った石楠花(しゃくなげ)の花は、万結が離してくれず、激写する時間がないまま、大阪出張に来てしまったのですが、・・・無事に咲いていてくれるといいなぁ〜。
・・・というわけで、今夜はこのへんで失礼します。ペコリ。
あ、イザケン大遅刻なり(笑)。


「春 そのF」

2007年4月6日

我が家の庭で見つけた、完璧にまん丸のたんぽぽの綿ぼうしちゃん!
子供たちに見つかる前に、こっそり写真に収めておきました。うきっ。
しかし、この綿ぼうしを見ていると、・・・クラミドモナスやボルボックスを思い出してしまうのは、私だけでしょうか。
生物専攻の方、または、極性を勉強中の高校生の皆さん、すっごく似ていると思いませんか???


「春 そのE」

2007年4月6日

昨日行った、アカチャンホンポの駐車場から、図らずも桜の花をバッチリ愛でることができました。
目の高さの花たちに囲まれながら、・・・何だか、桜の花の精になった気分でした(笑)。
花びらが散った後の赤いガク(?)や、顔を出したばかりの葉っぱも、すっごく綺麗ですよね〜。うっとり。


「春 そのD」

2007年4月6日

高田道場の『ダイヤモンド・キッズ・カレッジ』に集まった子供たちに、レスリングを教えた先生たちです。
みんな、高田道場の身内なんで、あまり自画自賛してはいけないんですけど(汗)、・・・いい顔してますでしょ。クラスが終わった後の、大満足した表情なんですよ。
向かって左から、KUSHIDA選手、石井千恵選手、岩見谷智義選手、高橋基希選手。
ここだけの話、先生としても、選手としても、本当に頑張っていると思います。
子供たちにも大人気でした。・・・また汗を流しに来てね!!!

イベント内容については、また改めてガッツリ説明いたしましょう。
ちなみに、次の『ダイヤモンド・キッズ・カレッジ』は、6月24日(日)に決定していますので、興味のある方はスケジュールを開けておいてくださいね。
場所は多分、国士舘大学・多摩キャンパスのレスリング場になると思います。
もうひとつちなみに、私は、イベント司会を務めております。・・・司会をしただけなのに、翌日・翌々日と、筋肉痛でヨレヨレしていたのですが(笑)。


「春 そのC」

2007年4月6日

こちらは、結太の激写による、自分たちの足(笑)。
私がカメラでいろいろなものを撮るのを見て、自分でもやってみたくてたまらなくなってしまったようです。←カメラが壊れないように祈るばかりですよぉん。


「春 そのB」

2007年4月6日

春とは関係ないのですが、これは、万里が撮った「とーた(父さん)」。
子供の視線からは、こんな風に見えているんですね〜。


「春 そのA」

2007年4月6日

菜の花畑の脇で、レンゲ発見! 
昔は、荒川の土手に咲いていた一面のレンゲを摘みまくって、王冠や首飾りを作って遊んだものでしたが、・・・考えてみれば、レンゲの花を見たのはかなり久し振りかも。
おまけに、オオイヌノフグリも写しこんでおきました。わーい!


「春をお届けします! その@」

2007年4月6日

この一週間は、講演や、高田道場のイベント、高田家の春休みピクニック(第2段)へ張りきって出かけた他、識者の方々とお会いしたり、役所や裁判所へ出かけたりと、本っ当にバタバタしてしまい、いやはや、まったくブログの更新ができませんでした。スミマセン。
まだまだ勉強したいことがあり、高田家としての結論は出ていないのですが、・・・今夜くらいは大阪の街へ繰り出して、美味しいものを食べてこようかと企んでおります。←只今、イザケンに遅刻しつつ、このブログを打っています(笑)。

これから、『高田延彦のフォト日記』風(?)に、今週撮った写真をまとめて貼り付けておきますので、春の気分をダーッとお楽しみくださいませ。
まず、ここに貼り付けたのは、先週の土曜日に講演で伺った神戸市北区で見つけた、まぶしい春色です。
夢のように美しい菜の花畑でした♡