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「向井メモ」
2007年4月13日
このブログは、あくまでも明るく楽しいものにしたいと思っていたのですが、・・・子供たちを守るためには、そうもいかなくなることが、きっとありますね。 今日はここに、記者会見の前日、自分の頭の中を整理するために、図書館でガーッと打った文章を載せておこうと思います。
記者会見では、この文章を軸にして、私は自分の考えを発表しました。 実際には、メモ書きも何も持たずに会見したので、ここにある表現と若干ニュアンスの違う言葉を使ったりもしましたし、記者の皆さんの「ハテナ顔」を観察しながら、もっともっと噛み砕き、わかりやすい言葉を選んで、長々と説明した箇所もあります。
が、私が1時間もかけて説明した現在の心境や状況の、ほんのほんの一部分が抜粋され、まるで私が、「ガッカリし、怒ってます。だから、特別養子縁組にはNOです。子供はアメリカ人として育てます」と、感情的になって言っているような雰囲気に仕上がっている記事を、どうか、このページにいらしてくださった方だけでも、鵜呑みにしないでいただけたら幸いです。
実際、記者会見の後に、高田道場へ電話をしてきて、「向井さんが話していた“特別養子縁組”についてなんですけど、よくわからなかったので、もっと噛み砕いて説明してくださいませんか?」と、私のマネージャーに聞いてきた記者もいたそうです。 「僕は、向井は非常に丁寧に説明していたと思いますが、どの部分がわからなかったのですか? 養子縁組の手続きについては、母欄の解釈について、本の方にもかなり書き込んであったと思いますが、」と、お答えし始めたところ、「あ、向井さんの本、読んでません」とのお返事だったとか。←正直でいい方であることはわかりますが、せっかく天下のNH○に入社したんですから、できれば、もう少し頑張ってくださいよぉ〜ん。百科事典で引くとか、ネットで検索するとか、先輩記者に聞いてみるとか、ねっ!
他にも、「子供さんたちの国籍はどこなんですか?」とか、「最高裁の判決が出たということですが、どんな判決だったんですか?」などという、およそ記者とは思えないご質問の数々をお受けしてきた高田道場としては、「向井さん、ブログに自分の心境をしっかり書いておいた方がいいかもしれません」という結論に達しちゃいますよね(笑)。 熱心に資料を読んでくださっている記者さんが多いので、そういう方が目立ってしまうだけなのかもしれませんが、・・・一応、もう怒ったりしていない向井が、どんな風に迷い考えた末に、現在の結論へ達したのか、文字で表しておきましょうか。
ちなみに、弁護士と私の共通の感想ですが、私の説明したことを一番ストレートに書いてくださったのは、朝日新聞の記事でした。 パンパカパーン、おめでとうございます! って何でやねん(笑)。 ではでは、お時間のある方だけどうぞ。 誤字脱字があったらスミマセン。 結太にじんましんが出ているので、推敲なしで、そのまま貼り付けておきます。
最高裁の決定文を何度も読んでみた。 初めはガッカリしたし、怒りも覚えたが、今は少し違う。
私と子供たちの母子関係を認めてしまうと、公の秩序に反するという点が、出生届不受理の理由となっているが、特別養子縁組を成立させる余地が充分にあると、わざわざ4人中3人の裁判官が述べているところを見ると、私と子供たちの母子関係を成立させても、あまり公の秩序を乱すことはないとの判断がなされていることになるからだ。
つまり、最高裁の決定は、「代理出産による子との母子関係は認めないけれど、ささっと、特別養子縁組の手続きをすれば、法的にちゃんと親子になれますよ。そうすれば、友人知人にはもちろん、子供本人にも、“私たちは親子だよ!”と、自信を持って言えるようになります。それが、最高司法の考える“子の福祉”です」という意味を持つ。
代理出産によって子を得た人は、これまでは他人にその事実が知られることのないよう、ものすごく気を遣いながらチャレンジを行ってきたが、この最高裁の決定を読めば、逆に安心するかもしれない。 これからは、代理出産をしたことが役所等の知るところになったとしても、特別養子縁組が認められ、妊娠・出産を経て子を得た一般的な母子と何ら変わらない戸籍(=法的権利)を手に入れることができるということになるのだ。
ただし、その部分(本当に何ら変わらない戸籍記載になるのかどうか)を、家裁の人間に確認してみたところ、「備考欄のようなところに、“代理出産による”と書き込まれるかもしれない」と言っていた。←普通の養子縁組なら書かれても、特別養子縁組では、出生事項は省略されるはずじゃないのか・・・。
また、これまで、出生届を提出するにあたり、私が何十回も、「母欄には“高田亜紀”の名前を書きます。そのかわり、戸籍の備考欄には、“代理出産による”と書き添えてくださって構いません」と言ってきたのに対し、法務省の人間が、「戸籍に備考欄などありません。また、戸籍記載に使われる言葉に、“代理出産”とか”分娩者“という語句は存在しませんので、そのようなことはあり得ません」と、突っぱね続けてきた事実とも大きく矛盾している。
では、一体、誰の言うことを信じて進めばいいというのか。 海外で代理出産によって生まれた子をどう扱うかはもちろん、国内での代理出産を許可するか否かについても盛り込まれるはずの生殖補助医療に関する新しい法律は、今、話題になっている、「民法772条」問題や、「こうのとりのゆりかご」問題についての議論の迷走ぶりや、もう20年も決着のついていない「夫婦別姓」問題を見聞きしている限り、いつ制定されるものか、残念ながら想像もつかない。
けれど、せっかく最高裁の裁判官が「速やかな立法が待たれる」と言ってくれているのだから、代理出産をカミングアウトしている私たちとしては、その立法が実現するまで、このままの戸籍で待ってみるのも悪くないと思う。 特別養子縁組は6歳までしかできないが、子が6歳になる前から養育していた場合は、8歳の誕生日前日まで成立が許される。あと4年半余りの間に、いい法律ができあがることを祈るのである。←制定された時点から、遡って救済してもらえるかどうかはわからないし、そもそも、代理出産を望む者にとって嬉しい法律になるかどうかもわからないが。
ところが、そんな悠長なことは言っていられないことになった。 「待たれる」と言って、じっくり待っていられるのは裁判官たちだけで、私たち夫婦に向けては、「子供たちの出生届を2週間以内に提出してください。ただし、父:高田伸彦、母:シンディ・ヴァンリードと書かなければ受け付けませんし、2週間を過ぎても受け付けません」という連絡が入っているらしい。←こんな重大事を私たちに直接言わず、担当弁護士へ連絡してくる法務局・法務省の感覚ってどうなっているんだろう・・・。
私は、代理出産という方法で子を得るチャレンジをする決心をしたとき、「絶対に、約束違反・ルール違反をせずに真っ向勝負をしよう。将来、事の経緯をすべて子供に話して聞かせなくてはならないのだから」と、自分に誓った。そして、これだけは絶対に崩すつもりはない。 しかし、法務局・法務省の勧める、「高田とシンディの子として、出生届を提出する」というやり方は、あきらかにシンディ夫婦との約束に違反し、ネバダ州裁判所で受けた親子関係確定というルールにも違反することになる。
「ここは日本なのだから、日本の法律に従ってもらいますよ。アメリカでの約束やルールに違反しても仕方ないじゃないですか。その後、すぐに特別養子縁組が成立するのだから、母親であることを放棄しているシンディの名前が書類上に表出する時間は短いんですよ。ただし、相手方に“契約違反”で裁判を起こされたら、それは、高田夫婦で受けてください。私たちはただ、“シンディの名前を書かなければ出生届は受け付けず、日本国籍は二度と下りませんから、2週間で考えてください”と言っただけで、実際に彼女の名前を書き込むのはあなたたちなんですから、私たちは裁判に無関係です」というのが、日本の役所の立ち位置なのだ。
それでは、最高裁の裁判官が、「特別養子縁組をする余地が充分にある」と述べ、つまり、「高田亜紀さん、あなたは子供たちと特別養子縁組をしなさい。そうすれば、子育てに何ら問題はありませんよ」と、アドバイスした点についてはどう理解すればいいのか。 国際弁護士や、実際に特別養子縁組を扱っている弁護士にも、いろいろお話を聞きに行った結果、特別養子縁組は、まず子供たちに日本国籍を持たせなければ成立しない可能性が高いことがわかってきた。
つまり、万里・結太がシンディのお腹の中にいた時点で、私たちがネバダ州裁判所へ起こしていた「親子関係確定請願」が「胎児認知」の意味合いを持つものと認められるので、「高田とシンディの子」として出生届を提出しさえすれば、日本人男性が父親であることを認知した非嫡出子ということで、日本国籍が下りるというわけだが、そのためには、まず母欄にシンディの名前を書かなければ、話が始まらないというわけだ。←帰化するにあたっても、「申請書の母欄には、シンディと書いてもらいます」と、前々から言われているので、結局は同じ箇所が問題となる。
代理出産契約を交わすにあたってお世話になったアメリカ人弁護士は、「日本の正式書類の母欄にシンディの名前を書くのは契約違反です。書き込んだ名前は戸籍上からは消されるのでしょうが、役所には残ります。それは、州裁判所の命令(コート・オーダー)に背く行為でもあり、シンディ一家の生活を守るためなら裁判も辞さないと、申し上げておかざるを得ません」と言っている。 裁判沙汰になったら、シンディ夫婦や私たち夫婦はもちろん、双方の子供たちが悲しむのは目に見えている。言うまでもなく、それは、子の福祉にまったく適わない環境となる。
一体、最高裁裁判官の言う、「子の福祉に適う特別養子縁組」とは、具体的に、どんな手続きのことを指しているのだろうか。 出生届にシンディの名前を書かずに、つまり、約束にもルールにも違反せずに、万里・結太と特別養子縁組を成立させるには渉外養子縁組(国際養子縁組)が必要不可欠となる。
アメリカ人である万里・結太を、日本人である高田伸彦・亜紀が、まず国際養子として迎えなくてはならないのだ。国際養子縁組と特別養子縁組が一度の手続きで行える可能性もあるが、どちらにせよ、ここには大きなハードルが存在する。 国際養子縁組は、養子となるべき者の本国法により、その者、もしくは第三者の承認・同意、公的機関の許可・処分によって、「これまでは、私たちの子供であったこの2人を、これからは、あなた方夫婦に託します」というやりとりが正式に行われなければ成立しない。
すなわち、万里・結太の親になりたい私たちが日本の役所に国際養子縁組の申請をし、万里・結太の本国アメリカにおける両親がそれを承諾すれば縁が結ばれるというわけだが、実際には、私たち夫婦の申請に、私たち夫婦が承諾すればOKという手続きになってしまうからである。 実子との養子縁組はできないと思うが、しかし、最高裁が、「子供たちは私たち夫婦の実子ではない」との決定を下しているのだから、この、まるで自作自演のような手続きは可能ということになってくるのではないだろうか。
まさか、最高裁からのアドバイスが、契約や外国裁判の決定を無視することや、その結果、ホストファミリーと裁判沙汰になってしまうことも、「まぁ、仕方ないんじゃないですか」というような、いい加減なものではないと思う。 行政が、「早く、この件を処理してしたい」と思う気持ちは想像できるが、司法のトップが考える結論は、きっと大岡越前の時代から、美しいものであるはずなのだ。
どう考えても壁にぶち当たるので、「最高裁裁判官は、私に、子供たちのためにどう特別養子縁組すればいいと言っているのでしょう?」と、家裁へ質問しに行ってみた。 が、「この(決定文の最後に書き添えられている)補足意見は、あくまでも個人的な意見であり、“大雑把なアドバイス”であると考えてください。裁判官は、具体的な手続き方法についてや、それが成立するか否かについてまでは、考察していないと思います」という、驚くべき答えが返ってきた。 以下は、その際のやりとりだ。
「は? 手続きができるかどうかもわからないで、特別養子縁組の余地云々と言っているのですか?」 「そうですね。そうなります」 「今回の最高裁裁判官の中には、ずーっと法務省で働いてきた、ミスター法務省みたいな方も含まれているじゃないですか。“法務省と闘っているのに、ミスター法務省が裁判官なんて”と、初めはガッカリしましたが、でも、こういった部分については、きっと誰よりも詳しいはずですよね」 「いえ、そうとは限りません」 「じゃ、補足意見中で、特別養子縁組について言及した方々へ、質問の手紙を出してもいいですか?」 「いえ、裁判官は質問には答えません」 「でも、2週間以内に決断しなければならないんですよ。・・・じゃ、アメリカから裁判を起こされたら、日本の最高司法からの提言だったと説明しますから、3人の裁判官から、その提言を書き記した根拠を述べてもらってもいいですか?」 「いえ、裁判には関係しませんね。こちらの裁判官が、そのようなことに関わることは一切ありません」 「・・・じゃ、何のための提言なんですか? 誰に対する提言だったんですか?」 「ですから、大雑把な提言であり、これは、あくまでも補足意見としてですね、」 「子の福祉を最優先するはず国のトップが、子の福祉に関して、根拠のないまま、わざわざ補足意見を書き込むなんて、あり得ませんよね、ね?」 「ふぅぅ、私たち家裁の人間は、本来、申し立てが行われたことに対してのみ、お答えするものです。特別養子縁組の手続きなり、その間に発生するだろう問題点に関する裁判なりを、実際に行ってみたらいかがでしょうか?」 「つまりは、やってみなくちゃわからない、と」 「そうですね。子供さんに関する問題なので、比較的迅速に判断が下されると思いますよ」 「嗚呼、裁判ってナンなんでしょう? 何にも解決してないような気がしてきました。代理出産についての法律がないから、司法の場で判断してもらおうと思って、家裁・高裁・最高裁と頑張ってきたのに、最高裁で出た決定が、“早く法律を作りなさい”じゃ、何のために頑張ってきたんだろうと悲しくなりますよ。でも、その最後にアドバイスが書き添えられていたのですから、せめて、そこに救いがあるのかと思ったら、“手続きが可能かどうかまでは考えていませんよ“なんて、おかしいです、絶対に・・・」 「難しい問題ですからね」 「難しいから、具体的な根拠が必要なんじゃありませんか? ・・・じゃ、最後に一つ、教えてください。この子たちの親権は、誰が持っているんでしょう?」 「それも、難しいですね。やはり、申し立てていただかないと、調べようにも動けませんので」 「子供たちの本国法に基づくわけですから、私が親権を持っているのではありませんか?」 「そうとも言えますが・・・。私共としては、結論は言えません」 「・・・これが、日本なんですね。私たちがやってきたことは、ものすごくスケールの大きな社会科見学で、タイトルは、“ディスカバー・ジャパン”。この国の考えている“子の福祉”の実態が垣間見えたような気がします。実体がないという実態とでもいいましょうか」 「はぁ、そうですか」
家裁の人間としては、正しい返答なのかもしれないが、一市民としては、“たらい回し”にされているような気がしてしまう。 しかし、高田家としての結論は出さねばならない。 とにかく、「行政の勧める方法では、特別養子縁組をしない」。今はこれだけだ。
シンディの気持ちも、私たち夫婦の気持ちも、そして、もちろん、万里・結太の気持ちも、一つも幸せにすることのなかった、そして何より、子宮の働きを持たない女性に対する思いやりの一切なかった裁判結果。 親子関係を、それぞれの感情、日々の生活とは切り離し、権利面から構築してみせた裁判官による、根拠の見えない提言。 文面から浮かび上がってくる、「女性にだけは身体的ノルマを課しておかなければならない」という匂いに気が遠くなりそうになりながらも、・・・元気に生きていくしかない。
先日、入国管理局へ行き、子供たちの外国人登録の在留期限延長手続きをした際、待合室ロビーに溢れている何百人もの老若男女を見て思った。 子供たちと一緒に過ごせることだけでも、どんなに幸せなことだろう。しっかりしなくては。 まだまだ壁はある。そこに体当たりできるパワーを維持できるよう頑張ろう。
万里・結太は、私たち夫婦から見れば、実子ではない。 が、アメリカ人である子供たちから見れば、私たちは正式な両親である。 将来、「おい、お前の母ちゃんって、誰なんだよ?」と、友達に聞かれることがあるかもしれないが、「高田亜紀だよ」と、答えるのが正解だ。 2人の本国が発行した出生証明書に記載されている通りの、それが100%正式な答えなのだから、自信を持って言ってくれてOKなのだ。 その答えに恥じないよう、いい母ちゃんになりたいと思う。
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